先日この記事を見た。
映画・テレビ「自殺シーン避けて」…WHOが指針、若者の模倣防ぐ
「表現の自由」との兼ね合いが問題になりそうやけど、
「自殺予防指針」の主な内容 として
自殺の行為や手段の描写を避ける
などがあった。
つまり「よく見る映像は、その人の性格にまで影響する」ということを言っているんやろう。
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WHOは以前、ゲームのやり過ぎも注意していた。
2019/5/25日本経済新聞
世界保健機関(WHO)は25日、ゲームのやり過ぎで日常生活が困難になる「ゲーム障害」を国際疾病として正式に認定した。
2022年1月から発効
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これらに反対する意見も出ている。
世界保健機関(WHO)が「ゲーム障害」と「危険なゲーム行動」を疾病に認定することを2018年に提案して以来、ゲームにまつわる問題の真の原因がどこにあるのかについて、科学的な議論が続いている。
過度または常習的なゲームプレイは、実際に心理的な問題を引き起こすのか。
それとも、何らかの心理的な問題を抱える人が、不健全なゲーム体験に陥る可能性が高いのか
過度なゲーム行動が心理社会的行動の問題を起こしているというよりは、制御不能なゲーム行動と心理社会的行動の問題が、ともに子どもに内在するより根本的な心理的な欲求不満の兆候のひとつである可能性が考えられる。
最後のは何言ってるかわからんけど、ゲームをし過ぎただけでは心理的な問題にはならない。
ゲームをし過ぎるようになってしまった原因があり、それも問題だ、ということやろう。
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「暴力的なゲーム」は社会の重要課題ではない。むしろ問題は「オンラインへの隔離」にある
ゲームが現実世界での暴力行為につながる恐れがあるのは、直感的に明らかなように思える。
だが研究者たちによれば、こうしたゲームは本物の暴力にはつながらない。
架空の世界における報酬体系と現実世界における報酬体系が、強力な膜によって切り離されているかのようだというのだ。
ゲームに異常なまでに没頭すれば、深刻な問題が生じることはある
ただし、架空の世界と現実の世界それぞれで起こる暴力および堕落の間には、1対1の対応は存在しない。
「(暴力の助長は)反証されています」
これまた最後から二行目は何言ってるかわからないけど、「暴力的なゲーム」≠「暴力の助長」が言いたいらしい。
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お偉い人の言葉は意味がわからん。
下記の言葉は、意味も言いたいこともよくわかる。
“ゲーム廃人には2種類ある”とのこと。1つは、ソシャゲ等で見られるお金をかける廃人、もう1つはネトゲで見られる時間をかける廃人です。
ゲーム依存のケースをみてみると、遊んでいるジャンルは、MMORPGが多く、eスポーツのジャンルのユーザーはあまり見られません。
ゲーム依存というよりは、ゲーム内のコミュニティーに対する「コミュニティー依存」ではないのでしょうか。
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これらから、学ぶこと。
他人がどんな趣味にお金をいくら使おうが知ったことではない。
その人が幸せならそれでいいと思う。
しかし、作る側は依存を助長するような物を作ってはいけないと思う。
例えば競争心を煽るような。
それは儲けるための手段であって、遊ぶ人のことなどお構いなしというような態度は、作り手として責任がないように思う。
その点、任天堂はすごい。
任天堂は「子どもに楽しんでもらおう」という気持ちでゲームを作っている。
自分で作ろうとしてよくわかった。
「敵キャラ」一つとっても、「何を敵にするか?」でゲームの「可愛さ」逆を言えば「残虐さ」が決まる。
企業やから利益は大切。
しかし、利益のためなら何をしてもいい、という姿勢は頂けない。
だから俺も「楽しめるゲーム」を作ろうと思う。