俺はあまり執着する方ではないと思っていた。
師匠から「君は諦めるのが早すぎる」と言われるくらい、何かにつけて「ほな、もうええわ」が出てしまう。
それくらい出来事に対しても固執しない。
最近は物欲も減った。
必要な物は買う。欲しい物は苦労して手に入れる。
この考え方をしていると、欲しい物をあまり買っていないことに気づく。
今、欲しいのは2019年9月20日発売予定のゲーム機「Nintendo Switch Lite」
これ以外で「欲しい」と思って買ったのは・・・これまたゲーム機か。
去年の6月に買った「ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン」
去年はテレビをほとんど見ない代わりにこれでゲームしてた。
今年はテレビを復活させたからこのゲームはしていない。
一番いいのは、スマホのゲームで面白いのがあればいいんやけど、無いから「Nintendo Switch Lite」を検討中。
でも、買ったら買ったでゲームばっかりしてしまいそうやから迷ってる。
過ぎた時間は戻ってこない。
ゲームに時間を費やすのはどうなんや!?
というのは置いといて。
こんなことを考えている時、「そういえば俺は時間に対する執着心があるな」と思った。
待ち合わせでは、人を待たせないように早めに行く。
それもあってか、遅刻してくる人にかなり腹が立つ。
「人の時間を奪うな」と。
例えば12時待ち合わせだとする。
知らない場所だとだいたい30分前には着くようにしてる。
だから11時半から12時までは「待ってる」時間。
しかし、12時を過ぎた途端「待たされる」時間になる。
この境目(約束の時間)に俺のイライラの発生源がある。
時間は戻らないが、お金で買うことはできる。
前にテレビで年収1000万円を超えている一人暮らしの男性が、「家事をする時間を人に依頼することによって、空いた時間を自分の得意なことに使える」と言っていた。
だからハウスキーパーの会社に依頼していると。
なるほど、そんな考え方もあるのかと思った。
でもこれは依頼する金額より、自分の時給の方が高い時だけ有効なのでは、と思った。
しかし、そうでないこともあった。
例えば、子どもを預けて女性も仕事に出る。
これは時給では大差ない(安いこともある)かも知れないが、月の合計でいえば少しでも残る。
例えば介護。
一日中は見ていられない。
だから預けて仕事に行く。
場所や条件によって違うやろうけど、ずっと預けっぱなしの所は俺の月収より高い所がある。
それが無理だから「一時」にするか、仕事を辞めて介護に専念するか。
自分が使える時間とお金とを量りにかける典型やろうか。
しかし何とも切ない。
食べていくために、家族との時間を犠牲にする現代。
お金で時間は買えるかも知れない。
でもお金で買えないものもある。
儚さを学ぶためにあるのかも知れない時間。
俺はそんな「時間」を大切にしない人に対して怒りが沸くんやろう。
だから俺は、「遅刻する=時間(意志)を奪う」と思って腹が立つんだと思った。
俺が時間に執着するのは、自由を求めているからだというのがわかった。