あっ草花

草や花からも気づきを得られる、そんな境地を目指して

蟹工船 本


1929年(昭和4年)に発表された小説

青空文庫の「おすすめ50」で2位なのが目についた。
以前、再脚光を浴びたのをうろ覚えしていて興味が沸いた。

読んでみると、やはり昔の小説は頭に映像が浮かびにくく思うように進まない。
それでも「なぜ再脚光を浴びたのか」が気になって何とか読み終えた。


再脚光のきっかけは作者の没後75年にあたる2008年(平成20年)、毎日新聞東京本社版1月9日付の朝刊文化面に掲載された高橋源一郎雨宮処凛との対談といわれる。
Wikipediaより

他にもネットには「蟹工船」が書かれた頃とブームとなった2008年頃の情勢がほとんど変わらないからではないか、ということが書いてあった。

それらに関して気になった箇所が2か所。

・・・・・・・
「殺されるッて分かったら?馬鹿ア、何時だ、それア。―今、殺されているんでねえか。小刻みによ。彼奴等はな、上手なんだ。
<中略>
目的は―本当の目的は、俺達をウンと働かせて、締木にかけて、ギイギイ搾り上げて、しこたま儲けることなんだ。そいつを今俺達は毎日やられてるんだ。

諸君、第二にも力を合わせることだ。落伍者を一人も出さないということだ。
・・・・・・・

作中にもある「赤化」に希望を見る人が出てもおかしくないなと思った。

赤化
思想が共産主義になること。また国家が共産党政権、共産主義国になること。

共産主義とは、政治や経済分野での思想や理論、運動、政治体制のひとつ、財産の一部または全部を共同所有することで平等な社会をめざす。
Wikipediaより


共産主義にも問題はあるやろうけど、現在でも「共産主義はちょっと・・・」という空気感がある。

それはなぜか?
共産主義を掲げた人たちが行った過去の行為を思い出すのか、
はたまた、
それを悪として取り締まった時代の空気感を思い出すのか。


どちらにしても、誰かが得をするために、誰かを虐げる。
又は、自分が得をするなら、他の誰が落ちても構わない。
そんな時代はよくないよね。
ということを言いたい作品だと思った。