この記事には東野圭吾の「手紙」のネタバレがあります。
原作は東野圭吾の小説。
テーマは差別。
強盗殺人を犯した兄のせいで弟まで差別を受けてしまう話。
それを見て思い出したのは、以前過去から学ぶとはで書いた部落のこと。
俺の感想は「なんで教えたんや」やった。
12/22(土)
部落という言葉について、詳しく知らない人も多い。
口伝え
レッテルを貼る
12/23(日)
私たちは病気や障がいを可哀相(かわいそう)とか気の毒といった特定のイメージで塗り固め、それに沿って判断を行う。
ダウン症は障がいというよりも、人が持つ個性の一つにすぎず、それ故に社会はこうした人々を包摂できるようになって初めて完成する
12/24(月)
「選民意識」で勝手に自分をレベルの高い特別な存在と思い込み、「レベルの低い人」を見下す姿勢
お笑い芸人の松嶋尚美の言葉に対して、
これらの意見には、児童相談所という施設に対する偏見や無知が満ち溢れている。
おそらくは、反対運動をしている人々も、結愛ちゃんの事件のときは、みな悲しみ憤っただろうし、普段は善良な市民であるのだろう。
しかし、それは自分に火の粉が降りかからない限りにおいてであり、ニュースには涙を流しても、いざそれが自分の身の周りのこととなると、極端な偏見を顕わにしてまったく別の顔を見せる。
これは、多分彼らが特別な悪人だからではなく、われわれも同じような状況に置かれたとき、大なり小なりに同じような反応を見せるのかもしれない。
南青山の児相建設問題
「南青山にブランドがあるんだとすれば、ブランドって世間様に上げてもらうもので、結局自分たちで下げちゃうっていうのもブランドなんでしょう」
田村勇人
弁護士
反対派の言説を聞いていると、まるで児童相談所に入る子供と自分とを全く関係のない、連続性のない別の存在として認識し、その異物が近くに来ることに違和感を覚えているようですが、果たしてそうでしょうか。
南青山の児童福祉施設の内容について松嶋さんも「あまり知識がなくてわからない」とおっしゃられていることはとても大切なポイントで、人間は「わからないから怖い」という感情を持つことは当然です。
漫画「ワンピース」にも差別の話が出てくる。
そして解決策も提示してくれている。
オトヒメ
怒りを憎しみを子供達に植えつけないで
彼らはこれから出会い考えるのですから
海賊フィッシャー・タイガー
何も伝えるな
おれ達に起きた悲劇を
人間達への怒りを
主人公ルフィもこれと似た考え方だとわかるシーンがいくつか出てくる。
・親しい人からの話であっても、伝聞は聞かない。
・本人からの話でも過去の話は興味ない。
・噂話を信じる人を信用しない。
・微妙な嘘を見抜いて、本人が本心を言うまで待つ。
つまりルフィは、本人が語る今現在の本音にだけ興味がある。
東野圭吾の「手紙」のラストは「許し」で終わった。
主人公(犯人の弟)が亡くなった方の家に線香をあげに行った。
母親を殺された遺族(息子)は、線香はあげさせなかったが「もうこれで終わりにしよう」と言った。
そして「これで兄弟の縁を切る」と言っていた主人公は、その後、兄がいる刑務所に慰問コンサートに行って兄が好きだった歌を披露した。
許してあげたい、けど心のどこかで許し切ることができない。
そんな心情を表現した場面に思えた。
中途半端な知識で人を判断し、それをまた人に伝える。
伝言ゲームでわかるように、どんどん尾ひれがついていく。
悪い事ならなおさら。
悪意があったらなおさら。
だから嫌な事は自分の所で断ち切って、自分は明るい事だけ表現すればいい。
アドラー心理学にも似た言葉が出てきた。
誰かが始めなければならない。他の人が協力的ではないとしても、それはあなたには関係がない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。