趣味が「ゲーム」だと言いにくい。
そんな記事をいくつか見た。
俺が探したから出てきたんやけど。。。
それでまた趣味について考えた。
趣味と言えば前にも書いたけど大きく分けるとしたらアウトドアかインドアやろう。
アウトドアと言えば、山、海、川、ドライブ、サイクリング、ジョギング、ウォーキング。
思い浮かぶのはいずれも行動を伴う物。
つまり能動的。
対してインドア。
映画、音楽、読書、ゲーム。
こちらはどれも受け身。
つまり受動的。
と思ったけど、ゲームは反応する必要がある。
RPGやシュミレーションならスピードは関係ないけど、アクションやシューティングなら見てから反応するスピード、また正確さも必要。
つまりゲームは能動的なのでは?と思った。
この時、他のインドアを能動的にすることはできるか考えてみた。
映画。
これは映画を制作する、又は演じる、かな。
見ている時は完全に受け身。
音楽。
これは作曲、又は演奏だとアウトプット。
聞くだけは受け身。
読書。
これは書く、くらいしか浮かばない。
出版は違う気がする。
いずれも「感想を書く」というのはアウトプットになるのかも知れないが、それはゲームとも共通するのでノーカウント。
思いついた中ではゲーム以外、反応する必要はない。
読書は映像がない分、頭の中で映像を作る「想像」が必要になってくる。
これを能動的と言うならそうかも知れない。
しかし、ゲームほど反応は必要ない。
何が言いたいか。
ほとんど受け身ばかりの映画鑑賞や読書は「趣味」として公言しても問題ないのに、就職の面接で「趣味はゲームです」となぜ言いにくいのか?
それはゲームを知らない人が多いからではないか?と思った。
ちょうどその時見た記事がコレ。
「僕たち人間は“知らないものを嫌う性質”を持っている」
ゲームはしたことがない。
面白くなさそうだからしない。
目が疲れるからしない。
たぶんできないからしない。
だからわからない、知らない。
だから嫌い。
だから蔑む。
今のゲームは画質はもちろん、その内容もすごいことになっている。
ユーチューブでいくつか見たけどすごい。
映画のような話の物もあれば、考えないと進めない物、テクニックがないと勝てない敵。
どんなゲームでも見ているだけではクリアできない。
昔のゲームと比べるとやり込み要素が多く、かなり奥が深くなってる。
そう考えると趣味として素晴らしいのではないか?と思った。
別の批判も考えた。
ゲームをして何になる?
それには他の趣味なら何になる?
唯一、読書で人格を磨こうとする人だけ人間力は向上していくかも知れないが、それも読んだ後に実行しようとする人だけ。
読むだけで終わったり、ジャンルが小説だったりするとただの趣味としてゲームと変わりない。
しかし、しかし・・・。
スマホのゲームはアカン。
家庭用ゲームとは目的が違う。
家庭用は楽しんでもらうために作っている気がするが、スマホ用のゲームは稼ぐために作っている。
話がそれた。
「趣味はゲームです」これを批判する人はゲームを知らない人。
そしてその人は、自分の知らないことを批判する人。
だからそんな人とは付き合わなければいい。
就職の面接ではどう答えるか?
ウソをつく必要はないけど、相手の反応が予想できるのだから敢えて言う必要もない。
目的が「面接を合格すること」なら、それに必要なことをすればいい。