あっ草花

草や花からも気づきを得られる、そんな境地を目指して

天国と地獄

現代人の半分以上が地獄に堕ちている

この言葉を見た時に驚いた。
「そんなにか」と思った。
それがきっかけとなって最初から最後までブログを読んだ。


そのまとめ。
ほとんどコピペ(緑色の文字)やけどご勘弁を。



●地獄に行く人

地獄に堕ちる原因は、「執着」
苦しみが深い人っていうのは、それだけ自分の執着は大きいんだな、ということに気がつく必要がある

地獄に堕ちる人というのは、「生きていたあいだに、思ったこと、行ったことを、一つひとつ上げてみて、善いことよりも、悪いことのほうが多かった人」

現代人で、死んでから地獄に堕ち、「悪霊(地獄霊)」になっている人は、半分以上にのぼっているんだけど、悪霊が悪霊である理由というのは「他人を害する思いを発した」ということなんだね。

地獄に堕ちる原因になる悪想念、マイナスの思いというのは、「百八煩悩」とよばれるくらい数が多いんだ。

人間というのは、「感情」の部分で地獄をつくっていることが多いんだよ。
「自分の感情をコントロールできない」「感情の統制がきかない」というのが地獄霊の特徴なんだ。
悪霊というのは、感情に翻弄された生活をしているんだよ。

地獄に堕ちている人に共通する特徴としてまず挙げられるのが、この「人を責める思いがきわめて強い」ということなんだ
「感謝の思いがない」っていうのも地獄霊の大きな特徴だけど、「ない」ほうじゃなくて、出してるほうの共通点は、それなんだね

・・・・・・・

地獄に堕ちる原因の七割以上は、「貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)」という「心の三毒」が占めている
中でも、この「癡」という「愚かさ」の部分が、そのうちのさらに七割以上を占めているんだ。

「貪」というのは「貪欲」、つまり「足ることを知らない欲望」のことなんだ。まったく分不相応に、あるいは、それだけの努力もしていないのに、欲しがること。欲しくて欲しくてしかたがない。欲しい、という思いが止まらないことなんだね。
「瞋」というのは「怒り」のこと。カーッとこみ上げてくる怒り、自分で統制できない怒りのことなんだね。何か自分に都合が悪かったり、不利なことがあると、すぐにカッとなって怒ることをいうんだ。
「癡」というのは「愚か」ということ。「愚痴」という言葉は、今では不平不満のようなことを口にするという意味にとられているんだけど、もともとの意味は、愚かであることそれ自体なんだ。愚かだから、愚痴が言葉として出るわけで、愚かであること自体がこの「癡」なんだよ」

「癡」とは、どういうことかというと、要するに「真理を知らない」ということなんだ



●地獄はこんな所

「そう。あの世というのは、その人が心の中で「思っていること、考えていること」がすべての世界なんだね。
すべてが意識の世界であって、その人が生前、いちばん繰り返し繰り返し心の中に描いていた世界が、
その人の目の前に現われてくるんだよ。
そして、そこには、その人だけじゃなくて、そうしたことばかりを心のなかに思い描いてきた人たちが他にもたくさんいるんだね」

勇二 「波長同通、「類は類をもって集まる世界」というわけだよね」

正太 「うん。だから、地獄に堕ちると、お互いにお互いを見て、嫌になるまで自分の醜さみたいなものを味わうことになるんだね。
要するに、地獄という所は、自分の欠点、間違っているところを悟る早道なんだ。
自分とそっくりな人間ばかりが集まっているわけだから、自分の悪いところに一番気づきやすいんだよ。

地獄に堕ちると、実体験をとおして自分の間違いを勉強させられるわけだね。
何を聞かされてもわからない人は、最後はここにいくわけだ



●あの世について

あの世っていうのは「心の平和」を維持する能力で、世界が分かれているわけだよね。
「心の平和」を維持する能力が、あの世の次元の壁をつくっているわけだ。

あの世というのは、「波長の世界」「波動の世界」なんだね。
波長の精妙さによって、世界が分かれているんだ。
上の世界に行くほど波長が精妙で、下に行くほど粗雑な波長の世界になっているんだよ。

地上的なもの、物質的なものに執われることの多かった魂。
「与える愛」よりも、「奪う愛」に生きてきた魂。
「善をなそう」とか「他の人々のために尽くそう」という霊性(精神性)の目覚めが足りなくて、肉体中心の生き方をしてきた人。
つまり、「欲しい、欲しい」という「取り込み型」の人生を送ってきた人ほど、魂の比重が重くなっているわけだ



●チェック

一日を振り返って「反省」する際には、「悪い思い、マイナスの思いを持たなかったか」という観点から点検していく方法ももちろんOKなんだけど、「心が乱れた部分」「心が波立った部分」をチェックしていくというやり方もあるんだね

「今、思ってること、やってることは、あの世に還ったとき、スクリーンに全部出てくるんだな」と思って生活していれば、そんなに悪いことはできないし、反省の土台になるんだよ
天国・地獄の境目を、「犯罪をやった人は地獄へ行き、犯罪をやらなかった人は天国へ行く」みたいに考えてる人が多いけど、そんな二分法じゃないわけだ。
実際は、自分の中にある「良心」に反する「思いと行い(動機と行動)」が多かった人は、地獄に行かざるをえないわけだ。
言い換えれば、心の中を全部他人に見られたとして、「恥ずかしい」「隠したい」っていう記録の多かった人は地獄に行く、ってことなんだな。



●行かないようにする方法

この世的に成功した人ほど、肩書きとか財産とか、いろいろなものを持っているから、鎖が離れないことが多いんだね。
たくさん重しがついているんだ。だから、一度どこかで「捨ててみる」という気持ちも必要なんだね。
捨てるといっても、預金通帳をゴミ箱に捨てる必要はないし、家を捨てる必要もないんだけど、精神的に後生だいじに思っているもの、「これだけは取られたくない」と心の中でつかんでいるものを精神的に捨ててみることは大事なことなんだよ。そうしたトレーニングはやっておくべきなんだ。

地獄の苦しみから救われるための基本は、「本人が、自分の人生の誤りに気がつき、これを反省し、仏に詫びる以外にない」

「反省」って何なのかといえば、「悪」から「善」への、つまり、「奪う愛」から「与える愛」への「復旧作業」のこと

肉体に宿ってこの世に生きている間は、欲というものはなくならないから、これを自分のコントロール下において、よく整え、氾濫させないことなんだ。
この「欲望の調教」ということができるかどうかが、地獄に堕ちないために、とてもとても大切なことなんだよ

「天国に還るためのキーワード」「与える愛と反省」

「与える」というのは、「どうすれば一人でも多くの人々が幸せに生きられるかを考えながら、日々生きる」
ということなんだね。「一人でも多くの迷える人々の心に、愛の光を投げかけてゆく」ということなんだ。
また「一人でも多くの人々を、困難と挫折の人生から立ち直らせ、知恵と勇気の日々を送らせる」ということなんだよ」

「他の人や、社会に対してお返しがしたい」という気持ちが「与える愛」につながっていくわけだ。
天国的な生き方につながっていくんだね。

天国・地獄を分ける決定的な要素というのは「その人が生きている間に、いったい何を思い、その思いに基づいて、どのような行動をしたか」ということに、かかっているからなんだ。
「動機と行動」だね。心の中で思ったことのうち、よいことのほうが多ければ、天国に行けるけど、悪いこと、マイナスのことを思い続けたら、地獄に行くということなんだ。


心の平静さを維持するには、「反省」の他に、もう一つ「瞑想」というものがあるんだ。
怒りを鎮めて、心の平静をキープしていくには、「反省行」と「瞑想行」の二つが大切なんだよ
瞑想には、心を鎮めて、波長を整えていくための入り口として、まず呼吸法があるんだ。
どんなにカッカした人でも、呼吸を整えると、怒りが薄らいで、心が安らいでくるんだね。

怒ったときの「心の波立ち」を静めるものとしては、「心の調和を保つ瞑想」というのがあるんだ。
これは、瞑想としては第一段階のもので、その目指すところは、「この世的な悩み事から離れることによって、心の安らぎを回復させること」にあるんだ
「マイナスの思い」というのは、それを「消そう。消そう」とだけ努力しても、実際は難しいんだね。
そこで、どうするかというと、「人間の心は、同時に二つのことを考えることはできない」という特性を使って、マイナスの思いを「プラスの思いに差し替える」という作業を行なうんだ。
瞑想というのは、反省しながら入っていったほうがいいんだね。

「怒らない」ということは、心の修行にとって、イロハのイであり、初歩の初歩なんだよ。
怒らないための基本は、怒りがこみ上げてくる前に「立場を変えて見てみる、考えてみる」ということなんだ。それも、瞬時の間にやる必要があるんだよ

相手の立場から見る」「第三者の立場から見る」、そして「仏の眼から見る」。
これが「視点を変えて見てみる」ということだね



●反省

反省というのは、仏が人間に与えた大きな慈悲であり、許しの原理でもあって、天国へ還っていくためには、欠かすことができない大切な手段なんだ

「反省のコツは、やっぱり、毎日、毎日こまめにしていくことだよね」
「心の曇り、汚れ」っていうのは、こまめに取っていかないと、とても一生ぶんを一度に落とせるものじゃないんだね」

年代を区切って一つひとつ反省していくのがいいんだね。
生まれてから5歳ぐらいまでのこと、10歳ぐらいまでのこと、15歳ぐらいまで、成人する20歳まで、
30歳まで、40歳までというように、ある程度、年代を区切って自己反省していくしかないんだよ。
そして過去のことをいちおう清算したら、それからの毎日は、「一日一生」の思いで、
自分の心の中に生起したことを反省していくんだ。

ポイントは「反省を習慣化する」ということだね。人生の最後で全部を決算しようとしても、一生ぶんの赤字の膨大さに「お手上げ」ってことになりかねないけど、毎日決算していって、その日のぶんの赤字をその日のうちに摘み取っていけば、最終決算が来ても、なーんにも慌てることはないもんね。
そして、積極的に「与える愛」の実践をして、黒字をつくっていく努力が大切だよね。
赤字を減らすだけで、黒字を増やしていく努力をしなきゃ経営は成り立たないからね。「心の経営」だって同じだよね

「人を責める思いから逃れるにはどうしたらいいか」ということなんだけど、もちろん「反省」という方法が王道なんだね。



●病気

病気の七割ぐらいは、心の部分に原因があって起きているんだ。
人間が出す「不調和な想念エネルギー」というものが、病気をつくりだす原因になっているんだよ

ガンというのは、「細胞の中に異変が起きる」「異質な細胞ができる」ということなんだけど、これは細胞の機能が「狂っている」ということなんだね。
その細胞の意識が、本来の意図とは反対の「破壊的な方向に向いている」ということなんだ。
「その「破壊的な想念」には、「他人を破壊したい」という思いと、「自分を破壊したい」という思いの二つがあるわけだね」

「他人を破壊したい」という思いとしては、たとえば「憎しみ」や「怒り」「恨み」といった感情。
いっぽう、「自分を破壊したい」という思いとしては、「罪悪感からくる自責の念」、それから「悲観的な思い」とか「過度のコンプレックス」といった自分を苦しめて、苛んでいく思いも入ってくるんだよ。
そうしたものが、葛藤、しがらみとなって、心の中にズーッとわだかまっていると、やがてはガンという形をとって発症してくるんだ。

だから、末端の細胞や内臓のほうが破壊的なほうに向かないようにするためには、元のほう、つまり心のほうから正さないとダメなんだね。
心の中の思いを本来の方向、つまり「明るく積極的で建設的な方向」「他人も自分も共に良くしていこう、共に良くなっていこう」という思いに差し替えないといけないんだよ。

「薬品とか化学物質の中には、ガンを促進するものがあるのは事実なんだね。だけどそうしたものは、ガンを触発して促すための「触媒作用」を果たすことはあっても、ガンそのものを形成するだけの力はないんだよ。
ガンをつくりだすのは、「念いの力」、間違った方向を向いた想念エネルギーなんだね。



●先祖供養

身内であれ誰であれ、憑依霊がきているということは、「波長同通」、つまり心境が同じだから来ているということであって、自分自身が闇を受けつけないような光の人間に変われば、水と油のようにはじいてしまうんだね。
先祖供養の前提というのは、「遺された遺族、あるいは子孫が正しい生活を送ること、光に満ちた生き方をすること」
先祖供養の基本は「遺された子孫が、先祖に対して常に感謝の念を持つとともに、人間としての正しい生き方、光に満ちた生き方をすること」



●その他

「波長同通」「類は友を呼ぶ」

「自己責任の原則」で、相手がどうであれ、環境がどうであれ、「自分が出した思いと行いは、自分の責任になる」から、やっぱりここは一番、自分の心をグーッとコントロールしていかなきゃいけないんだね

心動ぜずに、聞き流していれば、悪口や嫉妬や怒りというのは、やがてそれを発した本人に返っていくんだね。
これを「作用・反作用の法則」というんだ

人間というのは、一人ひとりが「心の経営」をやっているのと同じで、一人ひとりが「心の経営者」なんだね。
心というのは貸借対照表(バランスシート)といっしょで、ちゃーんと、赤字と黒字、負債と資産があるんだ。
だからマイナスの思い、灰色の記録というのは「心の借金」と同じで、それと同じだけの貯金(つまり愛や慈悲といった金色の記録)を持っていれば清算できるんだけど、それだけの貯えがないと「債務超過」で、「落第」ということになるんだね。
この世の人生というのは、厳しい「魂修行」の機会なんだけど、同時に「試験」でもあって、黒字より赤字のほうが多いということは「及第点に達しない」、つまり「不合格」ということになるんだ」

「不合格」すなわち「地獄で再修業」ということ。
死んでこの世を去るときが最後の「総決算」で、ここで貯金より借金が多いと、地獄に行かざるをえないということだね。
しかし、マイナスの「思いと行い」によって、いったん灰色で書かれた記録であっても、金色に変える方法が一つだけある。
それが「反省」ってことだよね。反省することで、マイナスの記録をプラスに変えることができる

「老後の生活設計」については多少考えても、死んだあとのことまで考えている現代人は少ないだろうね

この世でまいた種というのは、よい種も悪い種も、あの世で確実に結果が返ってくるし、あの世だけにとどまらず、その刈り取りはその後に生まれ変わったときにも及んでくる、ということだね。
だから、「因果の理法」というのは、「前世、現世、来世」を貫く「三世の因果」ともよばれるんだよ
「この世とあの世を貫く幸福」、さらには「三世を貫く幸福」を実現していくためになすべきことは、未来に向かって「善い種をまいていく」ことなんだ。
「因果の理法」というのは、この世では完結せず、来世まで行って初めて完結するものなんだ。

生まれてから現在までの人生、あるいは過去世そのものを変えることはできないんだ。
それは「反省あるのみ」、反省する以外にもう手立てはないんだね。
しかし、これから先の自分は変えていくことができるんだよ。

大切なことは「まず心を正して、次に能力を高めていく」ということなんだ。

「祝福の心を持つ」ということなんだね。
相手を祝福することによって、自分の理想像を肯定することができ、自分もまたそれに向かって近づいていけるようになるんだよ
(その際、大事なことは、理想像である相手の中から、自分が持っていないものを発見して学びとっていくという態度なんだね)
「祝福の心を持てるかどうか」ということが、実は天国に入るためのキーワードなんだ。

ほんとうの意味での天国、「善人界」という澄んだ五次元世界に行くためには、「汝がなされたいがごとく、他の人になせ」という黄金律を実践できるかどうかにかかっているんだね

あの世には、まず「心がきれいだったかどうか」「心が善かったかどうか」という最初の篩いがあるわけだよね。
この篩いをとおった上で、じゃあ次に「どれだけ人の役に立ったか」というモノサシが出てくるわけだね。

そもそも、なぜ仏が人間をつくられたかというと、他人をいじめたり、自分をいじめたりするためじゃない、ってことだよね。
大いなる「愛の実現」のために、仏は人間をつくられたわけだ。
だから、そんなことをしてるヒマがあったら、一つでも善いことを思って、善いことをしたほうがいいわけだよね。

公の怒り、つまり「理性を内に秘めたような怒り」を、ある意味では持っていなくてはいけないんだ。
これがないと、世の中は少しも変わっていかないんだよ

物事の明るい積極的な面を見ていく「光明思想」、
失敗や挫折から教訓を学び取って発展や魂の肥やしに変えていく「常勝思考」、
そしてあの世の視点に立って霊格を最大限に引き上げていく「発展思考」

自分の力ではどうにもならないものが降りかかってきて、自分の人生を悪い方向に変えてしまった。
そのときに、「どうしても許せない」という思いが湧いてきて、そういう行為をした人や国を恨む気持ちになってしまうものなんだね。
これは、ごく自然な情と言ってしまえばそれまでなんだけど、ただ、そういう思いによっては、
人間は決して幸福になることはできないんだ。これは心の法則によって、そうなっているんだよ

「怒る」は「奪う愛」だけど、「叱る」は「与える愛」

三通りの聴き方があるんだ。
まず、「岩に字を刻むように」聴く人がいるんだね。でも、字を岩に刻んでしまったら、その字は百年経っても千年経っても消えなくなるんだよ。
次に、「砂に字を書くように」聴く人がいるんだ。砂に書いた字は、二、三日はそのまま残っているけど、やがては、風が吹くと消えていくんだね。
最後に、「水に字を書くように」聴く人がいるんだ。サラサラ流れている小川の上に字を書いても、一瞬後には流れ去って、元のきれいな水面に戻るよね。そんなふうに、こだわらない心、引っかからない心で、人の言葉を聴く人もいるんだよ。

「岩に刻むように聴く」っていうのがマズいんだね
正太 「そうなんだよ。これが「執着」になっていくんだね。
他の人が自分に対して厳しいことを言ってくれることがあるけど、それが、自分にとって本当に思い当たる節があるなら、それを素直に受け入れて、反省することなんだ。
そして、忠告をしてくれた人に対して感謝をすることなんだ。そうすれば、心の波立ちはなにも起きないんだよ」

憎しみを抱いてる人というのは、何らかの意味で相手に「愛を与えて欲しい」と思っているか、「尊敬を与えて欲しい」と思っているかのどっちかなんだ。
要するに、憎しみを抱いている人というのは、相手からの「愛に飢えている」人なんだよ



●この世に生まれた理由

人間の魂修行の根本には「個が個として生き、その個性、独自性を主張しながら、いかに全体と調和し、全体の発展につなげていくか」という命題があるんだ

人生の「目的と使命」は「魂修行(魂を磨いて高めること)」と「ユートピア建設」
「この世が終われば、あの世がある。そして合格(天国)、不合格(地獄)が出る」
「この世は魂を高めるための場なんだ」「人生は、魂が試練を受けるテスト本番なんだ」っていう基本を知らないといけないね



●まとめ

足るを知り、反省し、執着を捨て、与える愛を実行する。