あっ草花

草や花からも気づきを得られる、そんな境地を目指して

権利と義務

権利
ある物事を自分の意志によって自由に行ったり、他人に要求したりすることのできる資格・能力。


義務
人がそれぞれの立場に応じて当然しなければならない務め。


goo国語辞書より


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1ヶ月くらい前やったやろうか。
よく来てくれている30代女性が「またお婆さんの出張に来て欲しい」と言ってくれていた。


以前に一度伺ったことがあった。
最近調子がよくないから「また」とのことやった。


しかし、その後30代女性が来なくなった。
数日前、久しぶりに来て「お婆さんが入院した。帰ってきてもあとは死ぬのを待つだけ。もう少し早くお願いすればよかった」と言っていた。


その後お婆さんに痴呆があることや延命治療の話になった。
その時、別のお客さんから聞いた話をした。
「本人に意識がなく酸素吸入をしてるから生きていられる状態の旦那さんを数年間介護した」
こういう話を何人かから聞いていたから「大変」なのと「外せない」という記憶があった。


自分の浅はかな知識で「一度延命治療をすると外す時が大変。勝手に外すと殺人罪に問われるかも」とお伝えした。
30代女性は「殺人罪にはならないでしょう」と言っていたから気になって調べた。


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日本では延命治療の中止や差し控えについて,医師の刑事責任の免責基準を明確に示した法律は今のところありません。また,これまでいくつかの延命治療中止の事例が刑事事件化してきました

www.jmedj.co.jp


また、本人の意思は変化しうるものであることを踏まえ、本人が自らの意思を
その都度示し、伝えられるような支援が医療・ケアチームにより行われ、本人と
の話し合いが繰り返し行われることが重要である。

https://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-10802000-Iseikyoku-Shidouka/0000197701.pdf


まだ完全な法律はできていないけど、本人や家族がしっかり話あった状態であれば大丈夫。
といったところやろう。


肝心なのは「本人の意思を確認できないとき」と「本人の意思は変化しうるもの」
どちらにせよ「話し合い」が大切ということ。


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7/18俳優の三浦春馬が亡くなった。


イケメンを見ては妬みや僻みの感情が出てくる俺でさえ惚れてしまう数少ないイケメン。
顔だけでなく立ち居振る舞い、芝居以外のしゃべり方もイケメン。
いい人が滲み出ていた。


そんな彼が生きる辛さに耐えかねて?自死を選んだ。
そこまで絶望していたんやろうか?
いや、そんなことはないと思う。


たまにニュースで理解に苦しむ行動をする人を見る。
魔が差した。
それが彼の場合、自分を苦しめる方に出てしまったのでは。


何にせよ、誰かと何かを話せば結果は変わったかも知れない。
残念でならない。


おそらく、この事に関するであろう吉高由里子ツイッターが紹介されていた。
「たとえ今が絶望的な日常でも 生きていれば何でもできる 逃げてもいいから終わらせないで」
「巻き戻すことも早送りもできない時間は 誰にでも平等に動いていくから 諦めるという言葉を許すに変えて 自分や他人を許すことで前に進もう 我慢という意識を辛抱に変えて 手招きしてるいつかある幸せに 辛抱しながら前に進もう」

 

「逃げてもいいから終わらせないで」
「諦め」を「許す」に
「我慢」を「辛抱」に
そして2回出てくる「前に進もう」


このツイートで救われる人は多いやろう。


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昨日(7/23)の夕方、ネットニュースでこのことを知った。


ALS患者に薬物投与、嘱託殺人容疑で医師2人逮捕…SNSで知り合い「安楽死」か

www.yomiuri.co.jp


少し前に調べていたからこのコメントに納得した。
安楽死が違法性を阻却される要件の一つとして、「医師が倫理的に妥当な方法で行う」というものがあります。


そして今日(7/24)読売新聞の一面に


ALS患者を嘱託殺人


という「黒下地 白抜き文字 ゴシック体」の見出しで出ていた。
詳しくは忘れたけど「黒ベタ白抜きゴシック体の横見出し」が一番ランクが上みたい。
今回は縦やったけど、それだけ大きな出来事ということやろう。

 


社会面も読んだ。


「彼らが『将来の医学に期待して長生きすれば』だなんて、外野がいうのがいかに無神経か」と記述。安楽死の必要性を訴える一方的な主張を繰り返していた。


俺は犯人の言い分もわかってしまう。
金銭の授受があったかどうかは確定してないみたいやけど、ブラックジャックの話をしているのを見る感じではお金は貰ったやろう。
もしそうなら「お金を払って手に入れたかったのが死」ということ。
それだけ生きるのが辛いということ。


それに対してこの記者の書き方は「いくら辛くても頑張れ」という、これも一方的な主張だと言える。


法律があるから医者が犯人で、記者が正論になる。
でも、どちらがしんどい人の立場に立って考えているか?
でも、法律は守らないといけない。
だから難しいところ。


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安楽死の問題に出てくるのが「死ぬ権利」
死ぬ権利はあるのかないのか。


俺はないと思う。
死ぬことを権利と主張するなら、生きることは義務か?
違う、逆やで。


肉体を持つ権利を与えてもらったから生まれてこれた。
そして死ぬことは義務だから避けられない。


死ぬことは決まっている。
だから大切なのは、どれだけ生きたかよりどう生きたか。
生に執着するのではなく、お迎えが来るまで天寿を全うする。
そうすることが魂の向上に繋がるんだと思う。


俺がしんどかった時、こう言われて納得したか?と考えればしなかったかも知れない。
でもきっとそうなんやで。


今回、一連の記事を読んでビートたけしの言葉を思い出した。
「どうせ死ぬとき楽になるんだから生きている間はとことん辛く生きよう、というのが僕の考え」


師匠もある時、ある人に言っていた「生きるべきですよ」