先日お客さんが、「前にリラクゼーションのお店で”パンパンですね”と言われた」と少し不快そうに言っていた。
このお客さんは接客業で話のわかる方。
感情をコントロールできて、客観的に物事を考えられる人だけに怒りはしてなかったけど、「同じ接客業として言い方があるよねえ」と言っていた。
俺「カチカチならよかったですか?」
お客さん「そうね。それならまだ筋肉の固さを言ってるけど、パンパンは身体の大きさのことを言ってるもんね」
なるほど、カチカチは表面の感じ。
パンパンは体積を表しているように聞こえる。
このお客さんがちょっと太めやから余計に嫌やったんやろう。
「言葉使いには気をつけないと」と思った出来事やった。
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先日「轍」の記事で書いた、クレーマー呼ばわりしてきたKさん。
次の日会った時、「昨日はゴメンね。悪気はなかったのよ。これからも小舅(こじゅうと)みたいに色々言ってね」と言って来た。
その時俺はまたカチンと違和感を感じた。
俺の中で小舅という言葉を使う時は、「細かい所までいちいち、ネチネチ言ってくるイヤな存在」に対して言うものと認識している。
しかし正しくは、
小舅:夫や妻の兄弟。
goo国語辞書より
Kさんは、俺を家族の様に思って「何でも言ってね」という気持ちで「小舅」という言葉を使ったのかも知れない。
しかし俺は「俺がネチネチ言ってるってこと?」と思ってしまった。
言葉の意味を正しく理解していれば、Kさんの使い方は嬉しく思い、世間で使われているイメージを当てはめたらイヤミに聞こえる。
これもまた「言葉使いには気をつけないと」と思った出来事やった。
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どうしてリラクゼーションの店員さんは、体がパンパンの人に「パンパン」と言ってしまったのか。
どうしてKさんは世間で使われている言葉のイメージを考慮せず「小舅みたい」と言ってしまったのか。
それは視野が狭く、相手に対する思いやりがないからやろう。
言葉が持つイメージを理解していれば、そして相手がそれを言われてどう思うか?を想像できれば、今回の様に相手を不快な思いにさせることはないと思う。
同じことを繰り返さないためには何が必要か。
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先日、タレントのみやぞんが「昔から”背中を見て学べ”っていうでしょ。あれね”教えろよ”って思ってました。ずっと」って言っていた。
俺もずっとそう思っていた。
考える力は基本ができてからでいいんじゃね?と。
そしてこんな記事もあった。
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「自分で考えろ」だけでは部下は伸びない
https://president.jp/articles/-/28986
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同じことを繰り返さないためには、教えてもらうことが必要なのではないやろうか。
「自分がされてイヤなことは人にしない。自分がされて嬉しいことを人にする」あとは考えろ。
で事が済むなら世界はもっと平和になってると思う。
教えてもらわないとわからないこと(人)が多い。
教えてもらう為には聞く姿勢が必要。
つまり成長するためには謙虚な心が必要だと思う。