あっ草花

草や花からも気づきを得られる、そんな境地を目指して

在る

以前、ストレス対処に関して訓練法と名付けた用紙を数人に渡した。
その中の一人が言っていた。

「しない」という選択肢が欲しい、と。
できないことを許して欲しい。
「なぜしないのか?」と聞かれると責められてる気がする。
した方がいいのはわかってる。
だから、しなかったことに対しては自分で反省してる。

俺は、ストレスを抱えてる人にその対処法を書いた紙を渡す。
それを読んで、「やってみた感想」を聞きたい。

どれがよかったか、また、どれができないか。

「できないところ」はどうやったらできるようになるか?
それを充実させていくことで、より多くの人の役に立てる。
そう思っていた。

しかし、数人「読んだけど何もしなかった」という人がいた。
俺はその人たちに対して、半分諦め、半分怒りを感じてた。

「しない」という選択肢が欲しいと言った人は、俺のその感情を読み取ったんやろう。



多少の失敗があったとしても前に向かって進むこと。そんなチャレンジ精神と意欲が、感情の老化を食い止めるなによりの特効薬になるというのである。


この記事の少し前から「チャレンジ」という言葉をよく見ていた。
俺がチャレンジするとしたら「経営」
経営するとしたら「リラクゼーション屋」

イデアを出すには「手書き」で「メモ」するといいとあった。
以前、「書くなら絵がいい」というのも見た。
だから「リラクゼーション屋をするならこんな間取りがいい」と思う平面図を書いてみた。

雇う人数、これによってベッド数が決まる。
お客さんが入ってきて、ソファに座って説明して、ベッドにご案内、をイメージして動線を考えた。
店舗の入口やスタッフルームとの視線などを考慮して、各部屋の入口の場所を決めた。
トイレは音を考えて場所を決めた。
単価アップにはオイルのコースもあった方がいい。ただオイルをすると周辺(特に床)がベトベトになっていく。だから部屋の場所、壁や床の材質に気を付けるなどをメモ。
洗濯機もあった方がいい。できれば屋外がいい。屋外に小スペースとそこに出る出口も考えた。

ちょっと楽しかった。
でも、「でもやっぱりお金がないとな」とすぐに現実に戻った。

そして自己嫌悪。
俺も「行動しない人間」やな、と。



そして再起。
いや、何かしなければ。

そして「ジモティ」というサイトを久しぶりに見た。
何か挑戦できることはないか?
趣味の集まりはないか?
人と話す場はないか?

探している最中に、以前も同じような状況で「ジモティ」を見ていたことを思い出した。



その時は、ジモティ」で仲良くなり一人の人とラインで会話するようになった。
そしてその人が、とあるカウンセラーの生徒さんが主催するオープンカウンセリング(グループカウンセリング)に行ったことを知った。

当時、「年配女性のストレスを何とかしたい」と思っていた俺は、その悩みを持ってオープンカウンセリングに参加した。
そして俺の悩みはカウンセラーの一言でスッキリした、ということがあった。


久しぶりに「ジモティ」を見てオープンカウンセリングを思い出し、当時カウンセリングしてくれた人のブログを見てみた。
すると、そのカウンセラーも俺と似た状況だと書いていた。

何かしたいと思うけど、実際は何もしていない。
その自分がイヤ。

そしてあるブログを紹介していた。
そこには、
「何かしなければ」と思っている時は、焦って何も手につかない。

「別に何もしなくていい!」と開き直ると動き始める。
的なことが書いてあった。

まさしく今の俺。
そして師匠の言葉も思い出した。



今までの歴史は「doing」を基本に動いてきた。
人は何かしなければ価値がない、と教えられて育ってきた。
だから何もしないと自己卑下が起こる。

しかし人間は、特に日本文化は「being」です。
存在するだけで素晴らしいのです。
と。


「した方がいいのはわかってる」でも「しない」
そういう人を俺は責めてしまっていた。

しかし、俺も一緒。
何かした方がいいけど実際はしていない。


「being」
存在するだけで素晴らしい。
ただ居るだけで愛おしい。

そういう考え方で対応されると嬉しい。
だから、人にもそうした方がいい。