最近、音でイライラすることが多い。
クチャクチャ食べる音。
ズゥズゥ飲む音。
ガチャンという、コーヒーカップか受け皿どっちかが割れるんじゃないかという勢いで置く音。
ずーっと止まらないしゃべり声。
口を手で押さえることなく、制御もしない大きなクシャミ。
笑い声もあまりに大きいと一瞬「うるさい」と思うけど、すぐに「楽しそうだからいい」と許せる。
最近、音でイライラするなぁと思っていた。
しかし今朝、セミの合唱が聞こえてもイライラしないことに気が付いた。
つまり「大きな音」=「イライラ」ではない。
では何が原因か考えて見た。
セミには情緒があるからや。
岡さんの本を読んだからそのフレーズが出てきたんやろう。
情緒とは全てがいいということ。
つまり何も求めないということ。
確かに俺はセミに何も求めてない。
そこでわかった。
俺が音に対してイライラするのは、相手に配慮を求めているからだと。
音によって周りに配慮している人かどうかがわかる。
大きな音を立てる人=配慮していない人=配慮しろよと求める=イライラする。
イライラするのは、自分の心の方向が間違ってますよと教えてくれている合図。
つまり自分を見直すチャンス。
今朝、急に昔のバイトを思い出した。
初めてバイトしたのは高校2年生の時。
友達に紹介されて飛行機で運ばれてきたマグロや果物などを空港の近くで仕分けする作業。
マグロは1箱2匹で大体100キロ前後。
大きな物になると1箱120キロはあった。
それを二人でパレットの上に組んでいく。
時には自分の頭より高い所に放り投げることもあった。
つまり一人約50~60キロ相当を1.8mの高さまで上げる。
あの頃が一番筋肉あったと思う。
しんどかったけど、なんとかできていた。
しかし、引っ越しのバイトは2日で止めた。
先輩、お客さん、荷物。
全てに気を使うのがしんどすぎた。
夏の暑い日、何もしなくても汗が出る。
そんな中、「家具に汗を垂らすな」と言われた。
今思えば、「そりゃそうや」なんやけど、当時は「そんな無茶な」と思っていた。
俺は元々気が弱い。
そして気が散漫している。
だから気疲れしやすい。
だから肉体より精神疲労の方がきつかった。
セミと言えば、成虫になって地上に出てからは1週間ほどで死ぬという説を、実際には10日以上、種によっては1か月ほど生存することを突き止めた高校生がいるというニュースを見た。
何かに集中している人も、自分に関係のない出来事を気にしないやろう。
音によってイライラしないようにする対策は、全てを包む。
それと、自分のすべきことに集中する。
だから師匠もクラーク博士も言う。
「大志を抱け」と。