あっ草花

草や花からも気づきを得られる、そんな境地を目指して

差別の心

自分の「障がい者に対する思い」を考えた。
今回は「重度身体障がい者が当選したこと」に関して。

選挙前、テレビで山本太郎が障害者擁立について語っているのを聞いてから違和感を感じた。
その内容に近いのがネットにあった。


「まず国会が変わることが必要になる。障害者に対して合理的配慮を行うことは、これまで通りの国会運営では無理だ。なぜなら当事者がいないから」
「2人が入れば、当然障害者に合わせた国家運営というものを考え直さなくてはならなくなる。国会は変わる。この2人を国会がどう受け入れられるのか。それによってどう改革していくのか。この結果が、そのまま全国のスタンダードになっていくと思います。だから大きな意味があると思うんですよ」
「私たち抜きに私たちのことを決めないで」といったスローガンを掲げ、障害者が意思決定機関に含まれることを目指すれいわ新選組


確かに、
「生産性がない」といった杉田発言や中央省庁による障害者雇用水増し問題など、マイノリティ側が抱える”生きづらさ”は加速するばかりだった。
この問題はある。

だから「生産性」だけに拘らず、障がい者の人の意見を聞くことは大切。
でも、だからといって障がい者が政治家になるというのはイコールでは結べない。
聞く耳を持っている人が政治家になって、真摯に体験談を聞けば済む話。
どうも見世物にしている感じがする。



そう思い、国会に必要なことを自分なりに考えてみた。
1、誰もが住みやすい国にするための政策。
2、そのために、幅広く声を聴く姿勢。
3、そして、政策を実行していける体力と気力。

これで考えると、今までの問題は「しっかり声を聴く人がいなかった」ということ。
そして「重度身体障がい者が当選したこと」によってこれから出てくる問題は、政策を実行していける体力と気力があるのか、ということ。


ここで、「こう考える俺は差別をしているのか?」を考えた。
「重度身体障がい者」だから「政策を実行していける体力と気力が心配」
これは言葉の定義から言ってもやはり差別なのやろう。

差別
1 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。
2 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。
goo国語辞書より



山本氏の狙いは「国会が変わること」
これからは変わらざるを得ない。
だから目標の一つは達成されたのやろう。

これに関しては俺と同意見やから「良し」と思えるんやけど、国会運営に支障が出るのはどうかと思う。
だから「う~ん」となる。
しかし、こうでもしないと国会議員は変わらない、とも思う。

いきなりベストは狙えない。
ゴールが一緒なら紆余曲折あっていい。
だから今回のことで多少国会運営に支障が出ても、その結果、いい方向に向かうのならそれでいい。

差別のない心で今回の件を見るとしたら、「重度身体障がい者」でも「政策を実行していける」国会を目指す。
これが山本氏の狙いであり、誰もが住みやすい国にするための政策の第一歩なのかも知れない。