今朝、予算が100兆円を超える、というニュースを聞いた。
これにも関連することやと思う。
昨日初めて聞いた言葉を調べていた。
この理論を「異端」とし、
という例えを出していた。
財政赤字の一時的・例外的な拡大の必要性を認める経済学者はいるものの、中長期的には健全財政を目指すべきだというのが、主流派経済学のコンセンサスなのである。
「現代貨幣理論」はこれを否定。
その説明。
政府は、「通貨」の単位(例えば、円、ドル、ポンドなど)を決めることができる。
そして、政府(と中央銀行)は、その決められた単位の通貨を発行する権限を持つ。
次に、政府は国民に対して、その通貨によって納税する義務を課す。
すると、その通貨は、納税手段としての価値を持つので、取引や貯蓄の手段としても使われるようになる(紙切れにすぎないお札が、お金としての価値を持って使われるのは、そのためである)。
ただし、政府が支出を野放図に拡大すると、いずれ需要過剰(供給不足)となって、インフレが止まらなくなってしまう。
言い換えれば、高インフレではない限り、財政支出はいくらでも拡大できるということだ。
ちなみに、日本は、高インフレどころか、長期にわたってデフレである。
デフレを脱却するまで、いくらでも財政支出を拡大できるし、すべきなのだ。
これにも驚いた。
さて、国家財政に財源という制約がないということは、課税によって財源を確保する必要はないということを意味する。
現代貨幣理論によれば、政府の借金を税で返済する必要すらないのだ。
アインシュタインの言葉らしい。
「問題を生じさせたときと同じ考え方によっては、その問題を解決することはできない」
これはわからなくもない。
現下の経済問題を解決するためには、経済学のパラダイムから変えなければならないのだ。
それに必要なのが「現代貨幣理論」とのこと。
そして、現代貨幣理論について、
正しく理解したうえで、フェアに論争してもらいたい。
知らないのに否定するのは違うよね。
ということで今回まとめた。
そして、考えてみた。
価値観が違うと感じた。
これをこの記事の中では、
パラダイムが違う
と書いていた。
ではお金に対する価値観とは?
記事の始めの方に書いてあった。
お金は納税できるから価値がある。
・・・・・・・
俺はお金とは、仕事に対する対価だと思う。
仕事とは、エネルギーのことだと思う。
つまりお金とは「エネルギーの代わり」だと思う。
今の人がいい生活をするために、未来からエネルギーを借りる。
いいはずがない。いつか必ずしっぺ返しが来る、と思ってしまうのだが。
俺が地動説や進化論を否定していた人たちと同じように、考えが古いからなのやろうか・・・。
では、どうやって借金を返していくか。
みんなで節約しようよ。
ないものはない。
ない所から無理に引っ張ってくると必ず無理がたたる。
と思う。