あっ草花

草や花からも気づきを得られる、そんな境地を目指して

象徴

昨日は休み。
ほぼ毎月、月に1回、奈良の整体師さんとほぐしあいをしている。
昨日はその日で、今回は自分が奈良に行く番やった。

車で行くので、朝、車を借りに実家まで行った。
その時、横の工場に違和感を感じた。

道路沿いに工事用のシートがズラリ。
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元はなんやったか?
いつも、何回も、通ってきた道なのに覚えていない。

でも、たぶん、ブロック塀やったやろう。
そこで思い出した。

2018年6月18日大阪府北部の地震で犠牲者が出てしまったことに対する対策やろう。
各地でも危険なブロック塀の調査や撤去が相次ぐとのこと。

そういえば、家のすぐ横の学校は早かった。
たしか地震から1週間後には外周のブロックは撤去されていた。
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「とりあえず、まず撤去」となったんやろう。
そこから業者に来てもらって工事完了までが数日の内に完了していた。
始めの「撤去する」というのを決めたのがいかに早かったかがわかる。

学校敷地内のブロック塀もコーンで近寄らないようになっている。
おそらく夏休み中に工事するんやろう。
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他から学ぶ姿勢や実行力が見て取れる。



俺は以前建築の仕事をしていた。
だから敷地境界線ギリギリに塀を作る場面はしょっちゅう見てきた。

最近の建売住宅は2段くらいCB(コンクリートブロック)にして、残りはフェンスが多かった。
でも「外から見られたくない」「防犯上しっかりしたのが欲しい」という人たちは目線より高くCBにする人もいた。


今、その境界=CB=壁=隔たりが、撤去され出した。


物質=象徴。
と仮定するなら、
隣地境界線のブロックの壁=自分と他人との壁。
目線より高く、中が見えないようにするブロックの壁=人と関わりたくないという心理的ブロック。
それらが取り払われ始めたということ。

人の命に比べたら、周りの視線を遮るための壁なんかいらないよね。
人の命に比べたら、境界は軽い方がいいよね。

という風潮、時代になってきた。
とすると、犠牲になられた方々の意味はとてつもなく大きい。

死を持って人類によりよい解を与えてくれた方々。
ご冥福をお祈りいたします。



時間のある時は、ほぐしあいの前に奈良のどこかに散策にでかける。
今回は神武天皇陵に行くつもりがひょんなことから橿原神宮に寄ることに。
そこで盃を買った。

整体をする部屋の四隅に盛塩を置いている。
整体の先生からすすめられてから置くようになった。

置くようになってから訳のわからない疲労は減った。
塩のパワーも少しずつ感じられるようになってきた。

今まで使っていた塩を盛るために100円均一で買った皿。
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第一代神武天皇と皇后の媛蹈?五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)を
お祀りしている橿原神宮で買った、模様の入った開運盃。
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なんとなく後者の方がご利益がありそうなのは、整体中、神武天皇と皇后とのご縁を意識できそうだと、物質に意味を持たしたから。



我が国は神の末なり 神まつる 昔の手振り忘るなよゆめ(明治天皇御製) 
我が国は神の後裔である。神を祭るという昔からのならわしを、決しておろそかにしてはいけない。
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今こそ祈りの力の素晴らしさを思い出す時。