去年の目標「遠慮しない」を意識して、一度協会の人に思ったことを言ってみた。
すると予想通りすごく嫌な雰囲気をあからさまにしてきた。
その後丁寧に説明して、相手から謝罪はしてもらった。
でもスッキリしない。
「なんでそんな態度ができるのか?」
そういう、嫌な気持ちだけが残る。
それならいっそ何も言わない方がいい。
そしたら言い争うこともなくなる。
だから「俺はノータッチ。好きにしたらいいやん」となってしまう。
かといって、言いたいことを言う時もある。
その遠慮する時としない時の違いが「挨拶」とも共通してるのかも知れないと思った。
年末年始の挨拶は大切で必要だと思う。
でも、色々考えて結局面倒くさいと思ってしまう。
だからしない。自分からできない。
今年、自分から送った年賀状は3枚。
10枚を超えたことはたぶん一度もない。
小さい時から「慣例」として毛嫌いしてきたんやろう。
それが結果として人との縁を切ってしまう行為であったとしても。
去年末、こんな記事を見た。
この記事で出てくるのは「高齢者」
でもたぶん高齢者でなくても「何かのきっかけで」「前からしていたことをやめる」という人は多いやろう。
と、思っていたら今年こんな記事を見た。
かつては相手のために時間を使うことが礼儀とされていたが(礼儀1.0)、相手に時間を使わせないことを礼儀とする(礼儀2.0)時代になってきていることが背景にあるというのだ。
「年末のご挨拶」の数日後に「年始のご挨拶」という、ダブルパンチをする企業もあるという。
つまりみんながこれは「無駄」「なくなった方がいい」と潜在的に思っていると、何かきっかけがあればガラッと変わる可能性もあるということだ。
この記事の中にはクールビズの話が出てきてた。
「ネクタイ」という単語は出てこなかったけど、クールビズでやめたと言えばネクタイ。
俺が昔から嫌いやったのは、ネクタイを付ける意味もわからず「やらされる」から。
「見た目」や「相手に与える印象」というのは俺には答えにならなかった。
話は変わる。
少し前、テレビで情〇大陸に出てたアイドルを見た。
「学校が肌に合わなかった」と言っていた。
勉強が嫌いな訳でも、いじめられてた訳でもなく「学校が嫌い」
最近、不登校の理由でそういう人がいる、と知った矢先にテレビで見た。
俺の「慣習嫌い」も似たようなもんやと思った。
話は戻って「挨拶」
無駄は見直した方がいい。
でも挨拶は大切。
でも年末の数日後に年始の挨拶周りはいるのかな、と前から思っていた。
「終わり良ければ総て良し」と「最初が肝心」ということなんやろうけど。
慣例・慣習・慣行を変えるのは大変。
理由は、多くの人は変化を嫌うから。
また話が飛んだ。
俺が「挨拶」を最低限にしようとする理由がわからなかった。
大切だからしようと思うけど、なぜこうも面倒くさがってできないのかと悩んでいた。
その答えが、これだと思う。
相手に時間を使わせないことを礼儀とする(礼儀2.0)時代。
・・・・・・・
それともう一つこれもあるかも知れない
A Very Merry Unbirthday to You!
「不思議の国のアリス」に出てくる「なんでもない日おめでとう!」という歌。
「毎日が特別な日」だから、といつの頃からか思うようになったのかも。
お中元やお歳暮を贈ったことがない。
これも挨拶。
そして慣習。
去年の大晦日も11時には寝た。
フェイ〇ブックで人の誕生日がわかってもメッセージを送らない。
自分のはわからないように設定してるからメッセージも来ない。
いつの間にか喜びや感動のない寂しい毎日に慣れてしまったのかも。
あぁまた話が飛んだ。
相手に遠慮せず自分の意見を言う時、それは「言っておかないと自分に火の粉が降りかかる時」
相手に非日常の挨拶をする時、それは「相手への迷惑を考えない時」
共通するのは、「自分本位な時」かな。
普段から、まず「人に迷惑がかからないか」を考える癖がついてしまっている。
だから去年の目標は「遠慮しない」にした。
でもやっぱりなかなか性格は変わらないもんや。
だから今年の目標はスケジュールに組み込める物にした。
「挨拶」と「遠慮」に関して、俺の頭の中は今回の記事のようにまとまってない。
でもやっぱり挨拶は大切やと思う。