私の中の日本軍 (上・下)
山本 七平
とあるサイトでこの本の感想を書いていた。
この本を読んでから、私は、「扇動されないこと」
「思考や思想は周囲からの影響からではなく、自分の中から出るものであること」
という思いを初めて持ったのでした。
思考や思想は自分で考える、などということは当たり前だと思われるかもしれないですが、実際には、多くの人たちが「時代の空気の中」で思考を決めています。
とあり、自分の中のネクタイを思い出し、興味が沸いて借りてみた。
しかし、
こういう話は「つまる」「つまらん」で読むものではないけど、気分が滅入って続かなかった。
詳しく知りたいと思えず、「はじめに」と一つ目の項目(47ページまで)と下巻の最後の方だけ読んで終了。
戦争はアカン。
俺はそれだけでいい。
「はじめに」に書いてあった。
本書執筆の動機の一つは、「百人切り競争」という虚報に接したこと。
そしてもう一つは、
われわれの世代には、戦争に従事したという罪責がある。
もちろん、個々人にはそれぞれの釈明があるであろう。
しかし釈明は釈明として、もしわれわれの世代が、自らの体験をできうる限り正確に次代に伝えないならば、それは、釈明の余地なきもう一つの罪責を重ねることになるであろう。
とあるように当時のことを鮮明に書いてあった。
それが俺には重すぎた。
下巻の「解説」
それにしても、これだけの筆力と体験のある人が、どうしていままで軍隊や戦争を書かなかったのだろう?
「書きたくない」から書かなかった。
「書かなければ」と思ったきっかけが「報道の偏向」やったんやろう。
宗教と同じ。
間に人が入れば入るほどずれていく伝言ゲーム。
この本を見て思い出したのが写真家ケビン・カーターが撮った写真『ハゲワシと少女』
1994年、ハゲワシが餓死寸前の少女を狙っている『ハゲワシと少女』という写真でピューリッツァー賞を受賞。
あの写真。
少し角度を変えれば水くみに並んでいる人たちがいる場所だったらしい。
しかもハゲワシはすぐに飛んでいったとのこと。
真実を写すと書いて写真。
その写真すら、角度によって受け取り方によって伝わり方が変わる。
ましてや伝聞なんかは疑ってかかって丁度いい。
なるほどサイトを書いている人と似た感想になった。