あっ草花

草や花からも気づきを得られる、そんな境地を目指して

易、風水、暦、養生、処世 本

易、風水、暦、養生、処世
水野 杏紀/著


面白かった。
かなりの広範囲をよく纏めたなぁと思った。
総合的に見れて、よくできた一冊だと思った。


情報量が多かった。


引用・参考文献
序章 なぜいま東アジアの宇宙論なのか:16冊
第一章 暦:40冊
第二章 易:24冊
第三章 風水:52冊
第四章 養生:42冊
第五章 処世:48冊


・・・・・・・


15ページ
風水も日本に伝播し、江戸時代には日本独自の家相という体系をつくりだした。
また医事についても、中国伝統医学は、日本の気候風土、習慣に合わせた鍼灸、按摩、漢方などに発展した。
<中略>
当時はこの伝統医学が中心であった。


31ページ
我が国の節分の行事といえば「鬼は外、福は内」の豆まきがある。
32ページ
平安時代以降、節分の豆まきのスタイルがうまれたといわれる。江戸時代には、広く庶民にも行われるようになった。


誰が何のためにこの考え方を広めたのか?


51ページ
『霊枢』邪客篇には「人と天地は相い応ずるなり」とある。
人は天地の間で生きる存在である。
人は天地自然の大宇宙のなかに存在する小宇宙である。
自己を取り巻く環境(自然)の変化やさまざまな関係性のなかで生きる。
したがって古代中国の人々は、その変化のありようを知り、それにあわせた心身の調整が大切だと考えたのである。
<中略>
四季の変化に順い、自然によりそい生きるならば、病にかからない。
四季の変化に逆らうならば、人体に邪気が侵入して病を引き起こす。


科学が発展して便利さを得た代わりに無くしたのはこういった考え方ではないやろうか。


56ページ
古代中国で形成されたもののみかたの根幹にあるのは、気の概念である。
我々の目の前に起こるさまざまな現象はみな眼にみえない気の働きに関係する。
それは場所と時間によって絶えず変化し、さまざまな関係性によって成り立っているととらえた。
それを読み解くために考案されたものが陰陽五行である。


「非時の香の花の音海の杜」のブログには日本と中国は違うとあった。
日本の風水〈1〉外国とは異なる五気

etoyotama.blog.fc2.com

実は、日本での五気は、
「空・風・火・土・水」なのです。
これは日本人の一霊四魂にも深く関わりのあるものです。


なぜかこっちを信じてしまう。


71ページ
易は変化の法則と不変の道理、森羅万象の関係性を説く。


93ページ
昔聖人が易をつくったのは、(これにより)人の性と天の命を貫く道理に従おうとしたためであった。
こうして天の道を立てて陰と陽、地の道を立てて柔と剛、人の道を立てて仁と義といった。
(こうして天地人)三才をふたつ重ね、六画で一卦とした(説卦伝)。


98ページ
また「艮は東北の卦。万物の終わりを成す所にして始めを成す所」とあり、艮は循環の境界線とされていたことがわかる。


艮(東北)は元々は不吉な方角ではない。
いつか誰かが言ったのが伝わって今は鬼門として嫌われるようになってしまった。


104ページ
易はいう、道理に明るい人は易と同じ、物事の始原を尋ね、その行く末を探り、一貫した理法を知る。
だから易で占わなくても事の推移、身の処し方を的確に判断できる。
けれどもそれをできる人は少ない。
だから「易の書たるや遠くにすべからず」(繋辞下伝)とし、易の書は(日々の生活の使用から)遠いものにしてはならず、身近に置くべきであるという。
そうすれば人生の有用な羅針盤となるのである。


座右の書みたいな感じなのかな。

110ページ
それに対し、李主はこう返答した。


李主の考える「賢者とは」が書いてあった。
長いけど「そうだ」と頷く内容やった。


113ページ
繋辞上伝には、「天を楽しみ命を知る。故に憂えず」とある。
人が天地の道理を楽しみ、わが命を知り行動するならば、憂えることがない。


122ページ
風は高く鳥のように天空を舞い、水は低く大地によりそいながら流れる。
風は眼にはみえないけれども、身体に感じられるもの。
水は眼にはみえるけれども、形を変えていくもの。
それはともに天地の間を行き交い、絶え間なく変化する。
そこに人が存在して関連しあう。
風水という言葉にはそうした含意があるように思う。


だから風水を取り入れるということは、自然と共に生きるということ。
自然を制御しようとするからおかしなことになる。


123ページ
随経にいう、気は風に乗れば散じ、水を界すればとどまる、と。
古えの賢人は気を集めて散じないようにさせ、気をめぐらせてそれをとどめて保つのである。
故にこれを風水という。
風水の法とは水を得ることを最もすぐれたものとし、風を蔵するものはこれにつぐものとする。


128ページ
風水技術の恩恵の享受は儒家的な人の道を前提としていた。


P176ページ
中焦(体の横隔膜から臍までの部位で、脾と胃が属する)→手の太陰肺経(臓:陰)→手の陽明大腸経(腑:陽)→足の陽明胃経(腑:陽)→足の太陰脾経(臓:陰)→手の少陰心経(臓:陰)→手の太陽小腸経(腑:陽)→足の太陽膀胱経(腑:陽)→足の少陰腎経(臓:陰)→手の厥陰(けついん)心包経(臓:陰)→手の少陽三焦経(腑:陽)→足の少陽胆経→(腑:陽)→足の厥陰(けついん)肝経(臓:陰)→中焦


182ページ
養生とはみずからの心、精神のありようが重要となる。
道徳の体得とそれにもとづく徳の行いがあって実現できるという。


201ページ
太極拳の特長は、すなわち気を丹田に沈めることである。
すなわち老子のいうところの「気を専らにして柔を致す」という技能(功夫)を実践することである


230ページ
足るを知る


232ページ
柔が剛を制する


245ページ
明治三年(一八七〇)の大教宣布では神仏分離が命ぜられた。
<中略>
全国で廃仏毀釈の運動がおこった。


245~246ページ
明治七年(一八七四)には医制が発布、医師はこれを免許制としたが、西洋医学を学んだ者に限られ、伝統医学は除外された。
これにより、日本が千年以上培った医学の研究と臨床の蓄積は多大な打撃を受けることとなった。

この時伝統医学を残していたら、今の医療はもっと素晴らしいものだったに違いない。

あとがき
温故知新―あらたな発見は、ふるきをたずねることにある。


・・・・・・・


古い文献だから正しいとは限らない。
後から出てきた情報が正しいとも限らない。
どちらも科学的に証明できないならどちらを信じるかは読み手次第。


科学に頼りすぎてはいけない、というのはこの本からも学べる。