Facebookでいくつかのグループに入っている。
その中の「猫」と「本」に関するグループで、管理者が書いたルールに異を唱える人がいる。
猫の方は、「かわいい写真だけ載せてください」というルールがある。
なのに「愛猫が死んでしまった」や「殺処分をなくすために記事を広げましょう」などを書く。
それに対して管理者が「気持ちはわかるけど、ここではしないで」と改めて書くのに、ルールを無視した投稿が続いている。
もう一つの本を勧めるグループ。
「本を勧める」のが趣旨のグループなので、「オススメを教えてください」という投稿はしないで、と管理者が注意喚起をした。
すると、「そんな小さなことに拘るの?」とか「そんなに問題じゃない」とか他にも色々、ルールに反対する意見を書く人がいる。
そしてその反対意見に「いいね」を押す人がいる。
「郷に入っては郷に従え」という言葉があるが、こういった人達はその場のルールに従うことができない人たち。自分の我を通したい、柔軟性がない人たちなんやろう。
こういう人たちに対して俺は、「嫌ならグループを抜ければいい」と思う。
これはパワハラになるのか?
はたまた俺の我儘か?
考えるために少し前から続いている、同じようなことを振り返った。
吉本問題から2つ。
太平サブローは、会社を批判する若手に対し「気に入らんかったら辞めろ」と一喝。
清水圭が、岡本社長から「『会社のやり方に文句があるなら、いつ辞めてもらってもいいんですよ』と恫喝されました」と告白。
俺は、お客さんに対して「嫌なら来なければいい」と思う時がある。
「どこどこの先生は一回で治す」とか「あそこはもっと安い」とか「あの先生はずっと楽しい話をしてくれる」とか。「ほんならそこ行けや」と思う。
俺は彼らと同じなのか。
そこでパワハラの意味を調べた。
これを読んで、違うのは「立場」だと思った。
辞めさせる権限がある人が、立場の弱い人に向かって言うのがパワハラ。
次に、「イヤならやめろ」と「言われる側の状況」が違うのは、「野党・民主党の非白人系の女性議員ら」の「公のことに関して」、と「それ以外」の「自分本位な意見」に分けられると思った。
この時俺は、自分本位な意見を言うから「イヤなら出ていけ」と言われるんだと思っていた。
しかし、「そもそもなぜトランプさんはあの4人に出て行けと言ったのか?」を調べると、どうも4人にも原因がありそう。ちょっと調べたけど歴史に詳しくないから難しいし、長くなるから書くのはやめとく。
この件を調べて俺は「自分本位な意見を言う人」だけでなく、「言われる側に問題がある」と思った。(ただトランプさんは大統領やから、意味も重みも全然違う。だから賛同はしていない)
しかし、Facebookの「猫」と「本」のグループ管理者は二人とも、「イヤなら出ていけ」とは書いていない。
それはたぶん、自分の意見と違う人を排斥する行為は、ルールに対して文句を言っている人たちと同等になってしまうからやろう。
つまり「イヤならやめろ、出ていけ」というのもまた自分本位なんだと思う。
だから俺も彼らと同じ部分があるということ。
ベストはみんな仲良く。
その為に必要なのが、
師匠曰く「イエスバット方式」
そうですよね。それも大切ですよね。でも、
と言って自分の意見を伝える。
俺もまだまだ修行が足りない。
人間力を向上させるための相手が登場したと思って、和合や調和を目指し対応することが大切。