あっ草花

草や花からも気づきを得られる、そんな境地を目指して

先日、毎月自分が担当している師匠のセミナーの冒頭で、用意していた挨拶」をした。

何度か練習し変更をしていた。
書いた内容からはだいぶん減らしたが、練習していた部分はほとんど言えた。

録音していたテープを聞いてみると、どうも甘えたしゃべり方に聞こえた。
「棘がないように」気を付けてしゃべろうとするクセなのか、自分で聞いて気持ち悪い。
「しゃべり方」に改善点は残ったが、練習した成果は出せたと思う。

「挨拶の練習」として話させてもらったけど、言いたかったのは、「復習会をしませんか?」ということ。
挨拶の中にもいくつか散りばめた「能動的、自発的、自分でする」復習会。



「参加したい人」と、挨拶の途中で手を上げてもらった。
その日、師匠のセミナーに参加していたのは俺入れて10人。
その中で「復習会に参加したい」と手を上げたのは4人やった。

次の日、さっそくメッセンジャーのアプリ内でグループを作った。
その4人と俺で計5人。

「グループ名」や「アイコンの写真」を変更している時にさっそく一人からお礼のメッセージが入った。
「グループを作ってくれてありがとうございます」

その後に俺が質問をした。
「復習会に参加資格を作った方がいいと思うのですが、皆さんの意見を聞かせてください」

初めにお礼を言ってくれた人からさっそく提案が。
「整体を仕事にしている人とこれからしようとしてる人」

少しして「やっぱり変やから取り下げます」と自分で取り下げてしまった。
4人中の一人はこんな感じで応答が早い。
これが9日の13時頃。

そして10日13時30分頃の時点。
後の二人は読んだけど今のところ返事なし。
最後の一人は昨日「読んでください」とお願いしたのに読んでもいない。



俺の頭に浮かぶのはやはり「なぜ?なぜ?なぜ?」

資格が必要ないと思うならなぜ「必要ない」と書かないのか、
考えている最中ならなぜ「時間がかかります」と書かないのか、
自分が案を出したらそれが責任となると思って書かないのか、

まぁたぶん、案が出てこず、人が待ってるとも思わないから何も書かないってとこやろう。
そして人がいい案を出したらそれに便乗しようと思っているのかも。

いずれにせよ「なぜ?なぜ?なぜ?」は俺が相手に求めてる。
では、自分はどうすればいいか?
考えていたら見つけた記事。



私のところには毎年、旧帝大の学生が研究しに来る。そうした学生に必ず出すクイズがある。
「ここに邪魔な木の切り株がある。これを微生物の力で取り除いてほしい」

昔ながらの発想では、木を分解する微生物を見つけ出して、その培養液を切り株にぶっかければよい、という回答が多かった。
だが、現場で実際に試してみると、3日もすればぶっかけた微生物が消えてなくなってしまう。
土着の微生物たちに「新顔のクセにイキがってるんじゃねえぞ!」と駆逐されてしまうからだ。

ところが、面白い方法がある。
切り株の周りに、肥料を撒くのだ。
数カ月すると、切り株は土着微生物の力によってボロボロに分解する。

筆者は、この手法を「選択陰圧」と呼んでいる。
これまでの技術体系では、プラスアルファ(陽圧)を考えることが多かった。
切り株でたとえるなら分解菌をぶっかける発想だ。
病気を治すなら、薬を投与するという考え方だ。
強力な手段を投じることで問題を解決しようという豪腕主義が支配的だった。

しかし切り株に肥料を撒くやり方は、炭素が欠如した肥料を撒くことで、擬似的に「炭素欠乏症」の状態に土着微生物を追い込むやり方。
土着微生物に、炭素の欠如状態を作り、炭素を求める「意欲」を刺激する方法だ。
「虚」を用意すると、微生物はその虚を埋めようとして活動する。


兵法書として有名な「孫子」には、「囲師必闕(いしひっけつ)」という兵法が紹介されている。

「虚」があれば、そちらに向かって動き出すという習性は、同じなのだ。


関係性権力とは、たとえばギャングの親分が力と恐怖で手下たちを支配するやり方だ。
しかしこのやり方だと、どうしても支配できる人数に限りがある。
人間関係が遠いと恐怖で支配しにくくなり、命令が行き届かなくなるからだ。

これに対して、構造的権力は、無数の人間を支配することができるという。
簡単に言ってしまえば、法律。

「まじめに働けば給料ももらえて、安全に生活できます。法律に違反すると牢屋に入れられ、自由を奪われます。あなたはどうしますか?」。
どうするかは、メンバー一人ひとりに任せてしまう。

すると、命じもしないのに、ほとんどの人がルールどおりの行動をとる。
ルールが示した「構造」に合わせた方が得だと分かると、自主的にルールに従う。

「選択陰圧」も「構造的選択圧」も、「虚」を用意し、自発的に「虚」を埋めさせる手法だといえる。


こうすれば物事がうまく運ぶようになるのではないか、という「虚構」をみなに提案して、みんなから「いいね!」をもらえるようなら、その「虚構」を共有し、あとはみんなの自発性に任せる。
すると、自然とその「虚」を埋めるように、人間という群集は動くのではないだろうか。

水が丸い器の虚を埋めるようにして丸くなるように。



自分の件で何が「虚」に当たるのかがわからない。
しかしいくつか案を考えてみた。

・俺が思う「参加資格」を案として書いて、それに対する意見を求めるか。
・「誰も何も書かないなら復習会を無くします」と脅しをかけるか。
・何もせずに放置するか。


考えた後、「選択陰圧」と「構造的選択圧」を考えてみた。
「選択陰圧」は、何もせずに放置。
「構造的選択圧」は、俺が思う「参加資格」を案として書く、かな。

だから脅しはやめようと思った。

では、どちらにするか。
復習会を開催するのが目的なら俺が書いた方が早い。
しかし、彼らの自立を促すなら待った方がいい。

俺は「場」と「話し合う機会」を用意した。
だから全員が話し合いを始めるまで待つことにした。