あっ草花

草や花からも気づきを得られる、そんな境地を目指して

「気づきの瞑想」を生きる 本

「気づきの瞑想」を生きる
プラユキ・ナラテボー

「脳と瞑想」の本が面白かったからプラユキ・ナラテボーさんの本をまた読みたいと思って借りた。
言葉が綺麗で文章も読みやすく面白かった。

「慈悲の瞑想」の良さについてわかりやすい説明があった。

悩み苦しみといったものも、よくよく見れば、みずからが知らず知らずのうちに心の中で唱え続けてしまっているネガティブな言葉の影響であることがほとんどだ。
したがって逆に、その心の中を温かく優しく、思いやりのある慈悲の言葉で満たしていくならば、心も明るく晴れ晴れとしてくるのも道理である。

頭でなんとなくわかっていても言葉でうまく表現できない。
自分はそんなことが多いけど、この本はそれらを見事に言葉にしている場面が多かった。

瞑想のポイントも参考になった。

私が大事にしていることは、心身に生じてくるあらゆる現象を明晰に自覚し、感じ尽くし、洞察し、慈しむことである。
このときのポイントは、心を大きく開いておくことである。

指導者によって瞑想の効果が大きく変わる、という話をオーム真理教の例えを出して説明していてわかりやすかった。


著者は、とある人に対しての自分の言葉を、
「感情的なしこりまではほぐれていかないよう」
「理を説くだけでは人間の心はそうそう容易には変化しない。」
と書いていた。

感性豊かな女性には、情的味わいを加える必要がある、とカンポンさんの言葉を紹介していた。
参考にしたいけど、咄嗟に出てくるにはまだまだ心の修行が必要と思えるような素晴らしい返答やった。


ブッダが重視していた教えは
「まず、みずからを拠りどころとせよ」
とのこと。

自分の中に芯を持ち、自分に聞けということやろう。


ストレスや悩みを持っている人に対しての接し方も参考になった。

「安定した気持ちで全体のプロセスを体感的に受容し、理解を深めていく」
これはそっくりそのまま瞑想行の確信でもあり、また、心を癒し、成長させていくために必要とされる重要な要素である。
「人が癒されるというプロセスにおいて、とくに周囲からの温かい見守りが重要な前提条件になる」
相手に受け取り体制ができていない時に働きかけても、ますます防衛的になる。

とのこと。

そしてこれも何となく思っていたことがズバリ出てきていた。
目的がない人、そういった世代、特に大学生以下の人たちには「今ここ」を説いても埒が明かない。
そういった人たちには自己の自立化、自我の確立化が必要。
というようなことが書いてあった。