今日は3月11日。
東日本大震災から10年経った。
読売新聞の一面もその記事。
宅地開発に伴って、インフラの新設を余儀なくされ、上下水道と道路の維持管理費は震災前より年間131億円(50%)増えた。
人口減少が続く被災地では、費用の捻出が課題となる。
津波を警戒し造成をした結果、維持管理費が高くなった。
人が減ったから自治体が維持するのは難しい。
税金が高くなるなら余計に戻って来にくいのではないか?
原因は何や?
復興プランの決定までに時間がかかった。
造成するのに時間もお金もかかった。
その間に住民が土地を離れた。
ではなぜ復興プランの決定に時間がかかったか?
規模が大きすぎた?
多くの人の意見を聞きすぎた?
リーダーシップが足りなかった?
防災や減災に関するベストな街作りがわからなかった?
そのどれも?
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「被災後10年」を見て阪神・淡路大震災を思い出した。
阪神・淡路大震災の復興10年はもっとスピードもエネルギーもあったように思う。
被災した規模も内容も違うから比べようもないのかも知れないけど、今回の復興は遅いように感じる。
一応被害額を比べてみた。
阪神・淡路大震災における被害額が約9.6兆円(国土庁推計)あるいは約9.9兆円(兵庫県推計)
東日本大震災の被害額を約16兆9000億円とする推計をまとめた。
被害額が大きいから東日本大震災の復興は遅いのか。
それだけではない、と思う記事が同じ今日の読売新聞にあった。
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標準中国語の普及強化
5日に開かれた全人代の内モンゴル自自区代表分科会で、習氏が指示した。
少数民族の同化が目的で中国語の普及を加速させているとのこと。
モンゴル族の間では、母語を失う危機感と諦めが交差していた。
「将来、試験や就職で不利になるから、中国語を勉強しないと仕方がない」
「学校で教えられないのなら、親の私が教える。民族の魂である母語を守るのは当然だ」
「中国語を大事にすることと、モンゴル語を大事にすることは両立すると思うのだけれど…」
危機感と諦めが交差。
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東日本大震災の復興に戻る。
テレビでは頑張っている人の姿もよく見る。
でも全体で見るとなんとなく諦めムードを感じてしまう。
復興のスピードを遅らせている原因は人の気力。
その原因は放射能ではないかと思っている。
制御できない物が暴走した。
そのことが解るにつれ、処理が長引くにつれ、住民たちのやる気が削がれていったのではないか。
それに近いことはこの記事にも書いてあった。
食品中の放射性物質の新基準値案
消費者の「安心」の陰にある「落とし穴」
福島の生産者に尋ねたところ、多くの人たちが「500を100にすることで、減らせば減らすほどいいという感覚になる。ならば次はゼロだ、と消費者がなるのは当たり前」と言います。
農地にも海にも放射性物質はありゼロにはできないのが現実なのに、消費者がゼロを望むとどうなるか。
津波という制御できない自然災害。
放射能というこれまた制御できない科学で作り出した力。
モンゴル族の記事でいうなら軍事力も持った政治的圧力。
個人ではどうしようもない外因。
大切なのはそれに対する自分の姿勢。
諦めるのか妥協するのか自分にできることをするのかは選べる。
色んな人がいる中、阪神・淡路大震災後の復興にも東日本大震災後の復興にもモンゴル族の記事にも香港や台湾のデモにも共通して見えたもの、それは愛郷。
今日は多くの人が悲しみや苦しみを抱えながらも故郷を想いながら生きていることを思い出した。