「終わりよければすべて良し」と思っていながら年末に書くことが出てこない。
でも何か書かなければと思い書くことに。
先月、今年の自分を振り返って漢字一文字で表すと「己」だった。
と言っても毎年同じような感じ。
お金がなく一緒に出掛ける人もいないから、年間行事はほとんど縁がない。
花見、花火、忘年会などなど、世間が「コロナでできない」と言っていることのほとんどを自分は毎年していない。
だからいつもと変わりなかった。
ふと今年読んだ本を数えてみた。
今年は22冊やった。
ついでに去年は25冊、一昨年は42冊。
「今年は読まない」と思っていたことを考えるとまぁまぁ読んだ方だと思う。
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今年大きかったのはやはり閉店。
閉店を決める前はけっこう迷ったけど、決めた後はすべきことをしただけで忙しく過ごした。
自宅で整体をするために改装などをした。
その時イライラすることが多発した。
イライラの原因は自分が人に求めているから。
できない人がいるなら助けてあげればいい。
それができないなら、自分のすべきをすればいい。
師匠から教わったことを思い返した。
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来年はどうなるか、ではなくどうするかと考えた方がいい、とは思う。
波に流されて楽な道を選ぶのではなく、波を作り出せばいい、とも思う。
でも、意欲がわかない。
自宅周辺へのチラシ配りもしていない。
「コロナのこんな時に」と思われるかも知れない、と考えると「しない方がいい」と思ってしまう。
今はまだ生活できている。
だから「これでいい」と思ってしまう。
「足るを知る」で考えれば「感謝の心で生きているからいい」とも取れる。
でも「向上や努力」で考えれば足りない気もする。
今は葛藤している。
自分が努力してない原因を「コロナ」という環境のせいにしている。
でもしょうがないとも思う。
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今年増えたのはゲームする時間と体操と瞑想の時間。
お店にいた時は、色々理由をつけて体操は30~40分くらいで終わっていた。
それが今はほぼ毎日1時間以上している。
日によっては体操と瞑想合わせて2時間くらいしている。
これはいい面やろう。
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だいぶん前、自分はどうなりたい?と考えた時「変わりたいのではなく、出たい」と閃いたことがあった。
今年、師匠の講演会で自分のプロフィールを紹介する時間があった。
主催者から「コロナ禍で人生が大きく変わった人を紹介したい」と頼まれてしぶしぶOKした。
最初は恥ずかしいから断ったけど、懇願されて「しゃべらなくていいのなら」という条件を付けて了解した。
その後も何回か「一言でいいから」ともう一人の主催者からもお願いされたけど断った。
しかし当日、司会の人から「一言貰えると次に行きやすい」と言われてなぜか「断れない」と思ってしゃべることに。
その時、言うことを考えてなかったから急遽考えた。
色々考えて挨拶の最後に選んだのが「今まで避けてきたことをしていかないといけないのかなと思いました」
コロナでお店は閉店したけど、ちょうどその頃に整体を教える仕事を依頼された。
その勉強会を主催してくれた人は内容を気に入ってくれて更に人を集めようとしてくれている。
今は2期生の2回が終わった。
人前で話すこともだいぶん慣れてきた。
きっとこの方向がいいんやろう。
自分の成長にもなるし収入にもなる。
たぶん俺は営業が下手なんやろう。
でも技術はしっかりしてると思う。
そしてそれを人に伝えるのもうまいと思う。
だから俺のことを気に入ってくれるお客さんは少ないかも知れないが、わかりやすいと言ってくれる生徒さんは多いかも知れない。
営業は人集めが得意な人にお任せしよう。
来年はポジティブ(肯定的・楽観的)とネガティブ(否定的・悲観的)のような両極端な考え方がいっそう明確になるらしい。
どちらを選ぶかは自分次第。
俺は講師の仕事が向いているという希望を持つことにした。
来る年が素晴らしい年でありますように。