あっ草花

草や花からも気づきを得られる、そんな境地を目指して

許してはいけない

7/12の因果応報の記事で俺は、

不誠実な会社は淘汰されるから、わざわざ文句を言わずに相手を許して、自分は誠実に生きればいい、と書いた。

しかし、「淘汰されるためには誰かが声を上げなければならない」とも思っていた。
でもそれは俺じゃない、と。

それはただの無責任、逃げでは?と思っていたけど違うというのがわかった。



確か「台無しにされた結婚式」の話を知ったのと同じ日やったと思うけど、二つのニュースを見た。

かんぽ生命で顧客に不利益となる保険契約があった。

それとラジオで日本国籍を持つウイグル出身の人が「中国がウイグル人を違法に拘束してる」と言っていた。
「だまっていても状況は変わらない」だから「声を出して国際社会の協力を得る」と。

これらのニュースにも腹が立ち、これらは許してはいけないと思った。

ウイグル人ウイグル族の違いが気になったけど、わからなかったからラジオで聞いたまま記入。)



「ひどい結婚式」と「面白くないゲーム」
これらと
「かんぽ生命の不適切販売」と「中国によるウイグル人の拘束」
これらの違いは何か?

許せるか許してはいけないか。
それはどこから来るか。
それは自分で選ぶ自由があったかどうか、だと思う。



ゲームは面白くなければ止めればいい。
買ってしまったソフトなら早めに売れば被害は最小限で済む。

結婚式は、どうも、式場選びの時点で怪しい点はあったように思う。
その時点で他を検討すればよかったと思う。

選ぶ自由はあったはず。
比べる能力もあったはず。
それでもそこを自分で選んだのだから、期待が外れても相手だけを責めるのはどうか。
そこから何かを学べば損にはならない。

結婚式は一生に一回。
思い入れも強いやろう。
だからこその怒りはわからなくもない。
でも、相手もわざとやった訳ではない所がいくつも見られた。
(気が利かないのは別の話)
怒りのままに発言するというのは、相手と同じレベルだと思う。
だから「許してあげようよ」と思える。



対して、かんぽ生命はお客は選べたかも知れないが、誘導されたんだと思う。
特に高齢の方なんかは詳しく聞いてもわからない。

「郵便局が扱う”かんぽ生命”」だから安心。
そう思って、勧められるままに手続きしたのが目に見える。

相手の弱みに付け込んだ商売。
弱者を踏みつけたやり口。
許してはいけない。


それとウイグル人の拘束。
国が動いているんやから、間違いなく力で押さえつけてるんやろう。
これも弱者を力で押さえつけたという問題。
許してはいけない。


このブログにも書いてあった。

公の怒り、つまり「理性を内に秘めたような怒り」を、ある意味では持っていなくてはいけないんだ。
これがないと、世の中は少しも変わっていかないんだよ


選ぶ余地がなく、理不尽に決められる。
つまり自由を奪うような状態を許してはいけない。

そんな相手には声をあげることも必要。

俺の「許してあげようよ」又は「許してはいけない」基準はここにあった。

これを考えながらハンセン病関連のニュースも見てるけど、今回のことには当てはまらない気がする。

ハンセン病家族訴訟に関して、安倍総理が控訴しないと表明した後の原告側の笑顔の写真に違和感を感じてしょうがない。

この違和感の正体は何か?
許せるかどうかの話か?
それとも人間の性の話か?
まだ答えは出ない。