最近、記憶に関する記事をよく見る。
左脳の何倍もの情報処理能力を持つ右脳。その右脳が得意とするのが、イメージ記憶なのです。
右脳のイメージ力と左脳の言語、論理作業力をバランスよく働かせるのが「記憶」であり、これにより、人間の脳は「覚える」ことと「思い出す」の2つを完璧にできるようになります。
そういえば少し前、手書きのメモは絵を描くといい、というのも見た。
俺は人の顔は覚えられるけど、名前が全然覚えられない。
お店をオープンした当時は努力してみたけど、それでもダメやった。
今はもう諦めてしまっている。
これも覚えようと思った記事のコピペ。
「なぜだろう?」(原因分析)
「どうしたらいい?」(問題解決)
「要するにどういうこと?」(抽象化思考)
「例えばどういうこと?」(具体化思考)
「何のためだろうね?」(目的意識)
「そもそもそれってどういうこと?」(原点回帰)
「もし~だったらどうなるだろうね?」(仮説構築)
このような言葉をかけられると人は「考え出す」のです。
残しておいたけど、覚えてなかった。
そして、ここにコピペしてもたぶん覚えられない。
手書きすればまだ覚えやすいんやろう。
アウトプット、使ってこそ覚えていくんだと思う。
「バレットジャーナル」はその日に完了できなかったタスクを翌日に移動する「マイグレーション」という手法を使うため、毎日毎日、タスクを移動するたびに同じ内容を書き写さなくてはならない。
したがって、単なる手書きのToDoリストよりも、さらに手間と時間がかかる。
できなかったことは再度、翌日に書き写す。もちろん手書きで、だ。
それには多少の時間がかかるため、その時間で「これは本当にやるべきことなんだろうか?」と該当のタスクについて考えることができるのだ。
これは「アウトプットして、すべきことを覚える」という良さと「客観的に見直す」という二つの利点があるから手書きがいい、という理論。
わからなくもないけど、面倒くさい。
だから身に付かない。
師匠の講演会を聞いた直後でも「何を学んだ?」と聞かれても「よかった」とか「すごかった」としか答えられない。
これも身に付いてないから。
身に着けるためにはアウトプットが必要。
大きくなるにつれ周りから色んな物を吸収してだんだん「私」が形成させていく。
という文章があった。
師匠は「今生で身につけないといけない事は、全て習得して生まれて来る」というようなことを言っていた。
つまり「思い出すだけ」
だから覚えにくいことは、今世では必要ないこと。
すぐに覚えることは、必要があって習得していたもので、思い出すだけ。
最近の「好きな事だけして生きていく」みたいな風潮に「努力は必要ない」ということも聞く。
努力を否定する訳ではないけど、ある意味そうなんだと思う。
諦念、前向きに諦めることもまた必要なのかも。
だから「できないことをできるように努力する時間」を使うより、「得意なこと」を伸ばした方がいい。
では俺の得意とは?
人より細かい。
だから気づきが多い。
それを書くなら記憶力はさほどいらない。
思いついたことを思い出すだけ。
だから「覚える」ことは科学に頼る。
スマホのメモ帳に書いたり、写真を撮ったり、メールでパソコンに送ったり。
そして「感じたことを出す」ことに時間を使おうと思う。