ネルソン・マンデラ氏が12月5日95歳で死去。彼に対する賛辞の声。
インターネット
彼は違いを超えて融和するための方法があることを証明した。
12月7日朝日新聞
オランド大統領「世界が喪に服している」
ゴルバチョフ元ソ連大統領「彼の自由と革命への献身に、私たちは敬意を抱いていた」
アウンサンスーチー氏「人間性の基準を高めた偉大な人物に敬意を表したい」
ナオミ・キャンベル「苦境の時に彼のことをよく思う。彼の経験ほどつらいことは何もない」
ボノ氏「憎み方ではなく愛し方を教えてくれた」
この12月7日の一面にデカデカと「秘密保護法が成立」とあった。
秘密秘密保護法
何が問題なのか?
はっきりしない、させられない、今後問題が出てくる内容、なのが問題みたい。
テレビなどで、
「この決定した政治を選んだのは国民。今後自分たちの力で勝ち取る必要がある」
と言っていた。
では、違うところを選んだ人はどうなのか?
俺はどこも選ばなかった。責任はないのか?
俺は参加しなかったことに責任がありそうやけど、
では、参加したとして選択肢の中に正解はあったのか?
その答えが12月6日朝日新聞「天声人語」に出ていた。
英国の歴史家カーライルは『この国民にして、この政府』と警句を残したそうで、それを書いた記者は、『国民は自分たちのレベルに見合った政治しか持ちえない』と書いていた。
なるほど、参加しなけりゃレベルは上がる訳はない。
参加していても選ぶ目が必要。
日付は前後するが、なぜか残していた記事。
「いま切実なのは「人類の危機」より「人間の危機」であり「地球の崩壊」より「人間性の崩壊」
ま、文句ばかり言っていても始まらない。
まずはぼくら一人ひとりが目先の景気につられて、戦争や原発や憲法から、目をそらさないようにしなくっちゃ。」
すごい人を見てもしょうがない。
と思いカンブリア宮殿をテレビ録画するのをやめた。
と思いカンブリア宮殿をテレビ録画するのをやめた。
自分がどうするかが大切だと思う、思っていた、思うようにしている。
思ってはいるがずーっと同じことの繰り返し。
だからやはりすごい人を見て、また自分を奮い立たせる必要がある。
新聞記事は捨ててしまうが、ブログに残すと見返せる。
「ミドリムシについてだけは違うんです」
「世界で、自分ほど、ミドリムシのことをたくさん考えている人間はいないと思うからです。生まれついてのリーダーでもなければ、経営者としての将来のコミットメントが素晴らしいわけでもないけれど、ミドリムシについてだけは違うんです。」
バカになる。