あっ草花

草や花からも気づきを得られる、そんな境地を目指して

肯定

とあるネット記事。
ある医者とある芸人とのやり取りが最終局面なのかと思い、俺なりの理想を。


社会的地位も名誉もお金もある人が「見捨てます」と発言したのに対して、
さほど売れてなく、言葉も汚く、年上を敬うこともしない一芸人が「おれは金はあるけど大事なものが見えなくなってる心無い老人のあなたを見捨てないよ。皮肉でもなんでもなく、そのままを貫いてね」


師匠の話では「育成」より「肯定」の方が次元が高い。
ということは、この二人で言えば、芸人の方が相手の医者のことを認めていると思う。
でも言葉が汚いから敵が出てくる。

俺なりの理想的な幕引き。

芸人は、医者が地位・名誉・お金を得るために努力をしてきたことを認める。
だから敬意を払う。

そして医者は芸人に対して、考え方が合わない人を育てることができないと思ったら、切り捨てるのではなく見守る。
彼は彼で何かの形で社会の役に立っていると思い、彼には彼なりの考えがあるのだと認める。

お互いが認め合えば、こういった形で終わらなかったのでは。

これは国と国とでも同じ。
対話が必要なら対話を続ける。

「ほなもうええわ」これがダメだと自分に言い聞かす。