あっ草花

草や花からも気づきを得られる、そんな境地を目指して

今日は42歳の誕生日。
42歳は確か本厄。
そう思って調べたら数え年やった。
だから今年は後厄か。

厄年で思い出すのは、誰が言ったか「そりゃ3年もあれば何かは起こるよ」

前厄、本厄、後厄の計3年。
それだけあれば事故や災難、体調不良の何かには出くわす。
そういう意味やろう。


そして思った。
もしその3年の間に良くないことがあったら「やっぱり厄年のせいや」と思うんやろう。

「厄年はよくないことが起こりますよ。それをできるだけ最低限度に抑えるために厄払いが必要ですよ。このお守り持ってたら大丈夫ですよ。もし何か起こってもお守りの力で災いを軽減してくれますよ」
人の恐怖心を利用した商売、とも取れなくない。


それよりも師匠の教え、体調は日ごろから気を付けましょう。
そしてその方法も教えてくれる。
災いを減らすためには、日ごろから徳を積むといいですよ。
そしてその方法も教えてくれる。
こっちの方がいい。


よって、厄年という概念は無くした方がいいと思う。
代わりに体調や対人関係をよくする方法を伝える。
これがいい。



そうそう思い出した。

神社をお参りする時、初めにする手水。
あれは、ばい菌やウイルスを伝染させない手洗いの仕方を伝えているのでは?と思った事があった。

手水の起源は、神道に由来し、聖域を訪れる際に周辺に流れる河川の水や湧き水で身を清めていたことにはじまる。

古来より、水は「罪(つみ)」や「穢(けが)れ」を洗い流すものと考えられており、


神道に由来」ということは、たぶんまだウイルスなどが発見されてない時代やと思う。
当時は「罪」や「穢れ」から身を清める方法として水を使った。

それがウイルスを伝えさせない方法と同じ、偶然やろうか。



一応「たぶんまだ」を調べた。

神道の起源はとても古く、日本の風土や日本人の生活習慣に基づき、自然に生じた神観念である。このためキリスト教、仏教のような開祖が存在せず、縄文時代を起点に弥生時代から古墳時代にかけてその原型が形成されたと考えられている
神道奈良時代以降の長い間、仏教信仰と混淆し一つの宗教体系として再構成されてきた

神道は、奈良時代(710年 - 794年)には確実にあった。
そして、

ウイルスに関する最も古い記述は1892年のロシアのIvanovskiによるもの

「河川の水や湧き水で身を清めていた」これがいつから「手水」に代わったのかはわからないけど、「水で何かを清める」という考え方は「ウイルス発見前」と考えて良さそう。

ということで、神社はいいことも伝えてる。
これからは恐怖心を煽ることは伝えないで、いいことだけ伝えるのが神社・・・いや、いいんじゃないでしょうか。