昨日、「AI」の記事を書き終わって、違和感が生じた。
できない人は置いていくのか?
いや、これは違う。
今は、「できない人がいる」と考えるより、「できることを見いだせていない」と考えた方がいいのでは。
誰しも得意・不得意がある。
学校で均一を教えようとする。
それに嵌れない人が「できない人」と烙印を押されて落ちていく。
例え体に障害があってもできる事がある。
要は周りがそれを引き出せるかどうかにかかっている。
もしかしたら、AIの登場によって「できる」や「好き」を明確化、さらには加速化できるようになるかもしれない。
もしそうなれば、
受験は受からなかった。
でも数学だけなら好き。
理科だけなら、歴史だけなら。
とか、
学校の勉強は苦手、
でも絵は得意。
音楽は、文章書くのは得意。
それで幸せに暮らせていける。
今もうすでにそんな社会が始まっている。
これからは、人と比べる必要がなくなり、自分を卑下する状況が減って、自分の好きや得意に専念する。
もしそれを途中で変更しても、過去のことは無駄ではなく、足し算の材料になり、新たな可能性が広がる。
「できる」や「好き」を伸ばす社会。
すると「できない」が気にならなくなっていく。
そこにもAIが使われる。
これがえぇわい。