あっ草花

草や花からも気づきを得られる、そんな境地を目指して

壁に耳あり障子に目あり

晦日恒例、N〇Kの紅〇歌〇戦。

これに対して、Facebookで友達の人が記事に書いていた。
歌を点数で競う事と、性別でチーム分け。
この二つが疑問だ、と。

「時代に合っていない」と言いたいんやろうけど、俺はこの人がいつも正論を振りかざすから「なんでもかんでも正論言ったらいいってもんじゃない」と思っていた。
その時は。



久しぶりにテレビをつけるきっかけになった理由の一つ「M-1
その年の漫才№1を決める番組。

漫才以外の部分が長いから、毎年録画して漫才以外は飛ばしてた。
けど今年は「言葉は聞ける程度の早送り」にして聞いていた。
聞いてみたけど審査員の言葉に違和感を感じて「やっぱり漫才だけでよかったな」と思っていた。



M-1終了後の打ち上げで二人の芸人が、審査員の一人のことに関して愚痴を言った。
その愚痴を動画にとって公開していた。
ネットニュースではここ数日、その動画関連の記事が多く出てる。

そこでこの一連を考えた。

愚痴を言った主犯格はM-1、2017年の優勝者。
だから「審査員を恨んで」というより「後輩のことを思って」言ったことだと思う。
もう一人の芸人は、主犯格の言ったことに同調した感じ。

それを聞いた、愚痴を言われた審査員は「激怒してる」とのこと。
(後日の本人談では「まわりが騒いでいるほどじゃないですよ」「2人に興味がないんです」とのこと)



愚痴を見て思い出したのが「責任を人に転嫁すると、運も一緒に移る」

お笑い芸人は勝てなかった原因を審査員のせいにした。
その結果、運も審査員に移るはずやった。

成功してる審査員やけど、さらに株が上がるチャンスやった。
でも審査員は二人からの直接の謝罪を断ったそうな。

「もう済んでいる話」「お気持ちは受け取りました。そんなことまでして頂かなくてけっこうです」
マネジャーは「上沼は2人に興味がないから説教する気もない」と苦笑い。



ビジネスの世界ではアンガーマネジメントといって、怒りは生産性にとって無い方がいい、ということで怒りをコントロールしようと努力している。
それくらい「怒り」は、周辺(環境)に悪影響を及ぼす。

師匠曰く「今のこの世の中に足りないのは、祝福と許し、つまり愛と慈悲である」と言っていた。
審査員が二人を本当に許すなら直接謝罪を受けたはず。
会いたくもないのは許せてない証拠。
だから今回、審査員に同情が集まることはあっても「今回のことで審査員をより好きになった」という声は聞こえてこないやろう。


今回の一件は「芸能界も人間的に向上するきっかけ」になったのかなと思う。

今は何においても二極化の時代やと思う。
これをきっかけに「愚痴と怒りをやめる人」と「今までよりする人」に別れていくのでは。

実際、お笑い好きのお客さんは「あれ(今回の一件)以降、舞台のネタで審査員をディスった(悪く言う)ネタが増えた」と言っていた。

逆に「愚痴は死んでも言わない」と心に決めた人も多いやろう。
打ち上げで愚痴を言っている動画に「顔を伏せて映らないように、何もしゃべろうとしない人がいる」というのも話題になっていた。危機管理ができている、と。
その場に居合わさせてしまったら、見ざる言わざる聞かざるがいいんやろう。

それらは、その人たちの今後の人生に大きく関わっていくことになる。


「優勝したら売れる」「人から認めてもらうのはうれしい」これらもわかる。
でも、そろそろ、人が人を採点するのをやめる時代なのでは。

お笑い芸人なのだからこそ、笑って許して欲しい。