あっ草花

草や花からも気づきを得られる、そんな境地を目指して

台風第21号

昨日9/4(火)の台風はすごかった。
台風で亡くなられた方がいるとのこと。
ご冥福をお祈りいたします。

前日から強くなるのは聞いていたから、お店は休もうと決めていた。

前日9/3(月)の夜の内にスーパーでいつもより少し多めに食材を買い、レンタル屋にいって映画を借りた。
これで一日大丈夫なはず、しかし停電になるなんて。

停電になる少し前、フェイスブックで停電に備えている人の記事を見た。
それを見て携帯だけ充電した。

何回か短い停電があって、確か夕方3時くらいから長い停電に入った。
停電になってからはスマホを見たり、体操したり、瞑想したり。



「こりゃ長くなりそうだ」と思って一番に心配したのが冷蔵庫。
そこで思い出したのがオトンのオトン、つまりお爺さん。

西宮から伊丹まで氷を自転車で運ぶ仕事をしていたらしい。
昔の冷蔵庫は氷を使っていたらしい。

上に氷を置いて下がってくる冷気によって冷やしていた。
その氷を運ぶ仕事をしていたと聞いたのを思い出した。

冷凍庫から「何かの時のため」と思って多めに作っておいた氷を出して冷蔵庫の上の方の棚に置いた。
お肉はアイスノンの上に置いた。

その甲斐あってか、電気が復活するまで冷蔵庫の中は涼しかった。



停電後、始めの内は色々したけど、その内することもなくなり昼寝した。

何度か起きたけど、しっかり起きたのは夜7時。
寝すぎたってのもあったし、雨風がやんだのもあって外の様子を見に散歩に行った。

一部電気がついている所もあったけど、ほとんどが停電していた。
家の近くの片側2車線ある国道の信号も付いていない所があった。

そこは、消防署の真ん前、しかも警察署からも近い場所やから知らないってことはないやろうけど、一応警察署に電話した。
すると「そうなんですよ。市内他の場所でも停電で付いてない所がありまして」と知っているとのことやった。

なるほどこれだけ交通量が多い所にも立てないくらい忙しいんやろう。
今日もまだそうやけど、昨日から救急車とパトカー(たまに消防車も)のサイレンがしょっちゅう聞こえる。

電車が動いていないからやろう、車の量が多かった。
「これだけ車がいて、信号が動いていなくて大丈夫なんやろうか」
そう思い、しばらく様子を見ていたけど大丈夫やった。

ラクションを鳴らす人もなく、信号がなくてもある程度のタイミングで交代して進んでいた。
やっぱりルールよりマナー。
譲る心があれば大丈夫と思った。

その後、お風呂の代わりに水で体を少し濡らした程度でまた寝た。
夜中12時頃、外の話声で起きた。
すると電気が付いていた。

その後、朝までまた寝た。
よく寝た。合計14時間以上かな。
こんなに寝たのは久しぶり。



9/5(水)
朝には雨も止んで晴れていた。

お店に行く時から、台風の爪痕があちこちに見えた。
・まだ停電している信号がちらほら。
・急にトラックが避けるから何かと思えば、トラックには当たるくらいの高さまで電線が切れて下がってきていた。
・工事現場、足場が歪んでいる建物が2件ほど。
・外食屋さんの外壁、装飾部分が倒れてた。
・看板が下地を残して吹き飛んでいた。
・自分のお店が入っているマンションの植木だけ同じ方向に皆倒れかけていた。45度くらいまで傾いていたけど倒れてはいなかった。周辺道路の木は全然平気だけにこのマンションの植木屋の力量が現れた。
・その他、色んな物が飛んでいた。

昼食時
・いつもの喫茶店に行く途中、CB(コンクリートブロック)3段の上に胸の高さくらいまでの網目のフェンスも倒れかけていた。
・食べにきていたタクシー運転手の人が「大阪の信号機は尼崎よりひどい」と言っていた。
・自宅がまだ停電、断水中の人もいた。



朝一のお客さん、昨日はデイサービスに行ったらしい。
2時頃、帰って来たとき車から降りて家に入るまでにビチョビチョになったとのこと。
そんな話をしていたら、デイサービスから電話が鳴った。
「停電は大丈夫でした?」とのこと。

デイサービスに行く日ではないのに、安否確認の電話。
独居老人にはありがたい。

そんなことを思っていたら、昼過ぎ俺も親友から確認のLINE。
「昨日の台風大丈夫やったか?」

独居老人になった気がした(笑)
しかし心配してくれる人がいるのはありがたい。



今朝、家の玄関の前に立ち、道路に向かい手を合わせて祈るお爺さんがいた。
いつも通る道路なのに、今までその姿を見たことがなく初めてやった。
交通安全の祈願か、はたまた朝を迎えられたことに対する感謝の祈りか。


食べ物をはじめ、電気、水道、ガスがあって生きている。
一人では生きていけないことを知り、一人ではないことを知った。

止まっている信号とその光景を見て、待たされる機械ではなく、譲り合うことを知るための機会だということを知った。

難が有った後、何事もなかった日常が有難いと感じられるようになる。

来年(今年もまだかな?)はもっとひどいことになる。
どんなことがあっても、よくなるために必要なこと。
と、前向きな気持ちでいることが大切。