doingとbeingの話を聞いてから久しぶりにその言葉を意識したのはテレビで見たから。
NHK こころの時代~宗教・人生~
それでも生きる 旧約聖書・コヘレトの言葉 (5)「“今”をみつめる」
この放送日は2月21日(日)、再放送は2月27日(土)
どっちで見たか忘れた。
この中で批評家・随筆家の若松英輔さんがゲド戦記のことを紹介していた。
ゲド戦記の中に「ある人生とする人生」という言葉が出てくるそうな。
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テレビを見た数日後、ゲド戦記に出てくる言葉を調べた。
すると映画「ゲド戦記」の監督、宮崎 吾朗のブログにそのことが書いてあった。
www.ghibli.jp「する人生」とは、
目標を持ってそれを成し遂げようとする人生です。
その動機は、富や名声を得たいというものから
人を感動させたいというものまでさまざまです。
一方「ある人生」とは、自分のためであれ人のためであれ、
何か野望を持って生きるのではなく、
日々の営みに満ち足りて生きていく人生です。
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テレビを見てから師匠の話を思い出し、それから考えていた。
生きるとは、自分らしさとは、仕事をする意味とは。
こういう学生が考えそうなことには「自己確立の方法」は使えないなぁ、なんてことを考えていたからか急に「武士道とは死ぬこととみつけたり」という言葉を思い出した。
この言葉ははじめ漫画「YAIBA」で知った。
「YAIBA」は「名探偵コナン」の作者、青山 剛昌の作品。
漫画「YAIBA」との出会いは自分には珍しく衝動買いやった。
本屋さんで単行本の表紙の絵に一目ぼれしてその場で買ってしまった。
今までそんなことしたことなかったし、しかも買ったのは2巻と4巻。
確かその時は10巻ちょっと出てたと思うけど、1巻と3巻が売ってなかった。
それまでの自分なら(今でも)中身を知らずに買うことはないし、ましてや1巻がないなら尚のこと買わない。
本当に衝動買いやった。
そんな大好きな作品の言葉を急に思い出したからネットで調べてみた。
すると言葉の元ネタであろう本が「葉隠」ということがわかった。
元は「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」やった。
『葉隠』(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物。肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。
Wikipediaより
葉隠が本になった経緯が面白かった。
口述者、山本常朝が仕えていた藩主が亡くなった。
あとを追って切腹したかったけど禁じられていたから出家した。
その後会った田代陣基が山本常朝の言葉を残さなければと書き残した。
その後出版された。
これを見て思い出したのがお釈迦様とキリスト。
確か二人の教えも弟子たちが書き残したんやったと思う。
葉隠はそれに似た状況。
それと、
武士として生まれ育ったのに武士として死ぬことが許されなかった人が何を考えたのかが気になった。
整体師として生きたいのに世間から必要とされない今の自分に必要な考え方が載っているのでは?
他の人(田代陣基)が「残さなければ」と思った内容はどんな物か?
これらが気になり葉隠を読むことにした。
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この2月~3月は「するとある」つまり自分の生き方について考えた1ヶ月やった。
その流れで葉隠を読んで、山本常朝の一番言いたいであろうこと「主のために死ぬ覚悟が必要」という考えは自分には受け入れられないことがわかった。
同時に自分の心の奥が明確になった。
生きる意味はわからなくてもいい。
目標がなくてもいい。
仕事ができなくてもいい。
生きる価値が無い人間なんていない。
存在しているだけで意味も価値もある。
自分は目標もなく必死で稼ぐ気もないけど生きている。
自分にできることをして生きていく。