新校訂 全訳注 葉隠 (上)
菅野 覚明、栗原 剛、木澤 景、菅原 令子/訳・注・校訂
葉隠をネットの図書館で探すと色々あった。
この本は上中下あって「しっかりしてそう」と思い全部借りることにした。
(上)だけ開架にあるけど後は自動書庫。
つまり図書館員さんに出してもらう必要があった。
出してもらってビックリ、本が分厚い。
(上)644ページ
(中)862ページ
(下)739ページ
読むのが大変と思ったら、原文と現代語訳と注意書きの3本立てやった。
しかも注意書きがかなりしっかりしてるから現代語訳だけ読もうと思うと1/3くらいの量になる。
これなら読めると思って読み始めると面白かった。
いいことも多く書かれていた。
しかし、途中で飽きてきた。
そしてこれが読むのをやめる最後のきっかけになった。
現代語訳
武士道とは「死に狂い」である。
<中略>
武士道ではとにかく自ら死地に突入することである。
そうするうちに忠や孝は自然と含まれてくるはずだ。
この本は山本常朝の言葉を田代陣基が筆録したもの。
山本さんが日々思ったことがとてもいいことなので田代さんが書き残した。
つまり今でいうブログみたいな感じで、書いてあることは山本さんの価値観、山本さんが思うよかれであり、べき論。
いい面もあるけど真理とまでは言えない。
ちょくちょく重く感じたり違うと感じたりする部分が出てきて飽きてきた。
そんな時に190ページ目で「またか」と思ってやめることにした。
特に違和感を感じるのは、藩主のために死ぬ覚悟が必要という部分。
他にも、何をするにも必死の覚悟が必要というのが随所に出てくる。
だから赤塚不二夫の葉隠の副題が「死ぬ気の意思決定」
・・・・・・・
自己犠牲で人を守ることには賛成やけど、その守る人が「権力が上だから」という理由には納得できない。
自分は一生懸命やった。
その結果、体と心を壊した。
だから「何事もほどほどがいい」と中道を求めている。
葉隠にも中道のことは書いてあった。
でも、武邊に関しては中道はよくなく他のことも初めから中道を求めるのはよくないとあった。
それとこれもあった。
・・・・・・・
P.83
名利薄き士は多分えせものになって人をののしり、高慢にして益にたたず、名利深き者には劣るなり。今日の用にたたざるなり。
訳
名誉と富に執着ない人物は、おおかたつまらぬ人物になって、人をののしり、高慢で役に立たず
ついには名誉と富に執着する人間より劣ってしまう。
今の役に立たないものだ。
成功する人は必死で頑張った人ってのはわかる。
欲のない人は努力をしないから能力が上がりにくいってのもわかる。
でも欲のない人間が役に立たないからよくない、なんてことは俺は思わない。
今は時代が違う。
刀による命の駆け引きはないんやから最初から中道を目指して何が悪い。
体や心を壊す前に中道を目指した方がいいと思っている。
葉隠の一番言いたいことが引っ掛かり、違和感が増していって途中でやめた。
・・・・・・・
読んだメリットはあった。
人の「べき論」を読むくらいなら自分の「べき論」を書いた方が楽しい。
それに、江戸時代の人の「べき論」が現代にも通用するということは、現代の「べき論」も後世の役に立つかも知れない。
つまり、俺が「書いてもしょうがない」「愚痴になる」と思って書くのを控えている「俺のべき論」がいつか人の役に立つかも知れない。
そう思うと「思ったことは何でも書いたらいいか」と思えるようになった。
本はあと2冊借りている。
それらを読んで時間があれば残りを読もう。